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みとぶら

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タグ:鉄道 ( 8 ) タグの人気記事

偕楽園から千波湖に移動の花見 2019

偕楽園本園から外へでます。
梅桜橋で線路をまたぎます。
梅の偕楽園と桜山を結ぶ橋なのでこのような名前なのでしょう。

その梅桜橋から見る常磐線特急、朝一の下り「ひたち」。
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鉄道は絵になりますね!!

橋を渡って千波湖に向かいます。

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護国神社の鳥居と桜も良い感じです。

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歩いていると、今度は東京方面の特急やってきました。
待ち構えたわけじゃなく、
突然やってきたのを撮影しました。
そこにたまたま桜の木。って言った具合です。

ちょっと曲がってますね。

そして、前回紹介したユキヤナギに到達です。
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ユキヤナギと電車が走っている写真が撮れたらいいなあと
いう目線でうろうろすると、
ちょうど好文亭も映る場所を見つけました。
少し待つと水戸線の電車がやってきました。


そして千波湖に向かいます。
跨線歩道橋からみたところ。
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電車が写っていると良かったのですが、
待っててもさっき通ったから来ないと思って
歩き出してまもなく、電車が通り過ぎていきました。

水戸市常磐町 2017年4月6日







by ta-tanchi | 2019-04-09 07:53 | 公園 | Comments(0)

偕楽園の梅と鉄道

梅の花がだいぶ咲いた偕楽園。
久しぶりに足のリハビリを兼ねて
曇天だったのが残念ですが
日中ぶらぶらしてきました。

といっても夕刻も迫った時間でしたけどね。

今回は今年のJR東日本カレンダーの2月の撮影場所に
行ってみるのが目的です。
列車の何々系とか言われてもわかりませんが、
たまには鉄道写真をね。

いつものコンデジじゃなく、デジイチでの撮影です。
今日の朝、偕楽園駅に四季島がやってきたみたいですね。
雨降ってまいますが、
カメラを構えた面々が多数いたことでしょう。

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5年前くらい前のJR東日本のカレンダーの撮影場所で撮影。
絶妙なタイミングで特急「ときわ?」と貨物列車のすれ違いです。
貨物列車が来るのは想定していませんでしたので、
ちょっとしたサプライズです。
道路の車がなければなお良かったかな?

今でこそ貨物列車はコンテナばっかりだし、
長い編成もなく、
本数も少ないですよね。

子どものころ偕楽園に来たときは、貨物列車が来ると、
車両の数を数えたものです。
貨物列車は男のロマンです(笑)。
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定番スポットで。
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そしてこの場所が今年のJR東日本のカレンダー撮影地です。
まだ咲いていない梅・・・
そして手前の梅は選定されたっぽいし、
ちょっと寂しい感じでした・・・(>_<)
そしてカレンダーにはなかった電線も・・・。

ここまでが電車の写真。時系列はあってませんよ。

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梅林も見頃でしたよ!!。

水戸市常磐町 2019年3月


by ta-tanchi | 2019-03-07 07:28 | 道路・鉄道 | Comments(0)

East i-D イーストアイ ダッシュディー

千波大橋を、いつもは通らない側の水戸駅側の歩道を通ってましたら、
見かけない車両が留置されているのを見かけました。


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イーストアイ ダッシュディー。East i-D
キヤ191系気動車だそうです。
JR東日本の軌道総合試験車(検測車)の愛称です。
そのへんはWikipediaで、調べないとわからないのでした。

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橋降りて見てきました。

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特異的な窓がありました。
こちらはマヤ50 5001という車両だそうです。
建築限界測定車というようです。

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何回か目撃しはしていて、上記の写真は2015年11月のものです。

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丁度その1年前2014年11月にも見てまして、
この時は、窓がたくさんあるマヤ50は連結してませんでした。

2016年6月には夜に停車しているものを見ました。
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車両内に明かりがついている状態で、ジーゼルエンジンがうなっておりました。
その動画





水戸市宮町


by ta-tanchi | 2018-08-09 07:38 | 道路・鉄道 | Comments(0)

第一石川踏切跡


常磐線の岡田踏切第三常磐陸橋との間には、かつて踏切がありました。
その名は第一石川踏切。

現在近くに跨線橋がありますので、それが完成して役目を終えたのでしょう。

東赤塚側からの訪問でず。
近づいていくと線路の向こう側にも道が見えますね。
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遺構は残っているのでしょうか?
フェンスのちょうど踏切があったであろう場所に保線用の出入り口が見えます。
この辺りがきっと踏切の入り口ですね。

線路際まで来ると、向こう側に石の車止めがあるのが見えました。
ただし線路の左右には踏切の道路部分はありませんね。
手前側は判りにくいですが、枕木を使った階段になってます。

岡田踏切同様、自動車は渡れず、
自転車や歩行者のための踏切だったみたいですね。
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そんな中、「第一石岡JB」と書かれた近くの線路内の箱状の物がありました。
JBは、何の略なのでしょうか?
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そのまま線路は渡れませんので、ぐるっと回って反対側(姫子側)を見に行きます。

路地を入っていきます。
ここに踏切があった感じには見えませんね。
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線路際までやってくると、踏切の面影を強く感じますね。

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反対側は前出のように枕木の階段です。
もともとこうだったとは思えず姫子側同様、車止めがあったのでしょう。

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この忘れ去られた踏切跡は、いつぐらいに廃止されたのでしょうか?
私が知る限り1996年のゼンリン地図には記載されているのを確認しております。

水戸市東赤塚 姫子 2016年10月





by ta-tanchi | 2017-05-16 18:10 | 道路・鉄道 | Comments(0)

岡田踏切(常磐線)

水戸駅(偕楽園駅)と赤塚駅の間には、3か所に踏切があります。
古くは、偕楽園や桜山、常磐大学の所などにもありましたが、廃止されております。

今回紹介する岡田踏切は、残った踏切の一つです。
東赤塚アパート側から訪問しました。
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アパートを過ぎると、常磐線が見えました。

道幅見てもらった通りの状態で、
自動車の通行はできる幅はありませんので、
自動車は通れません。

2輪でもスピードが落として通るように、柵があります。
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写真を撮っていると、すぐまた踏切が鳴ります。

ときわ66号がやってきました。
こんな感じです。


列車が通過していよいよ渡ります。

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年季の入った柵ですね。
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水戸駅方向は緩い下り坂。
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赤塚方向は緩い上り坂です。

撮影中自転車の往来がありました。
そうこうしていると、また踏切が鳴りだしました。
今度は渡り切った側からの列車通過を見てみましょう。


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味のある踏切ですね・・・。

この岡田踏切は、廃止される可能性が高いです。
というのは都市計画道路がこの踏切の真上で
常磐線を橋梁でクロスする予定だからです。

赤塚方向の写真の左側の法面方向から
上の写真の右側の空き地にわたって道路が伸びます。

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道を進んで振り返ったところ。
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県道177号赤塚馬口労線、昔の笠間街道に出ます。
ちょうどこの辺りにあるJRバスのバス停名は「岡田」です。
今の地名は姫子ですが、岡田は旧地名なんでしょう。

 水戸市東赤塚、姫子 2016年7月

by ta-tanchi | 2017-05-04 12:37 | 道路・鉄道 | Comments(0)

第3常磐陸橋

第3常磐陸橋は、赤塚駅から水戸駅方面にある最初の跨線橋の名称です。

名前がなかなかわからなかったのですが、最近知ることが出来ました。
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写真は、赤塚駅東側の踏切から見た第3常磐陸橋です。
特急電車の上のところですよ。


踏切のすぐ近くの歩道橋で、
車も自転車も通ることができないわけで、正直どのくらい必要性があるのか?
という気もします。
どのくらいの利用者がいるのでしょうか?


この橋は、もう50年以上前に造られた橋です1964年に完成しました。

人伝の話となりますが、
それまでは、遮断機もなく車が1台通れるか位の小さな踏み切りがあったようです。
昭和30年から40年初め頃にかけては旧市内の人口増加により、
旧水戸市と旧見和村、旧赤塚村、旧河和田村、旧見川村がそれぞれ合併を行い、
新たに水戸市のベットタウン構想を目的に、今の水戸市見和に、御殿山団地や市営見和団地が、
また今の水戸市河和田に、市営河和田団地などがそれぞれ造成されました。

そんな時期に踏み切りで急行列車(SL?)と自動車の衝突事故があって、
当時としては珍しくテレビ報道もされた大きな事故があったそうです。
当時から同じような場所に線路を越境するためのガス管が通っていて(現在は使用されていません)、
衝突事故の影響を考慮し、そのガス管に隣接するように踏み切りから陸橋へとすぐに替わったそうです。

それでは見ていきましょう。
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南側の階段です。左側の銀色の配管がガスなのでしょうか?
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錆びるままペンキも塗られることもない欄干と
年季の入ったコンクリートのコントラストで、うら寂しさを増幅させております。
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跨線橋の上はこんな感じで舗装されております。

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赤塚方面、電車がすれ違っているあたりが水戸街道踏切です。

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水戸方面、緩やかな下り勾配になっております。
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渡り切って北側の階段になります。


ちょうどこの北側のこ線橋に続く道をまっすぐ行くと、飯綱神社に突き当たります。
ということは、この道路は神社の参道ですね。
そうなると常磐線ができる前からある道路だったと考察します。


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またまた南側に戻ると、空き地の一角に、大正時代のものですが庚申塔があります。

水戸市姫子、東赤塚 2016年10月


by ta-tanchi | 2017-04-01 22:45 | 道路・鉄道 | Comments(0)

那珂川駅手前の踏切の遺構

那珂川駅、
聞きなれない名前かもしれません。
かつて、水戸一高の崖下の那珂川岸に、
那珂川駅がありました。

1890年から1984年まで存在していた貨物駅です。
水戸に初めて鉄道通った水戸鉄道の終点でもありました。
鉄道開通の明治時代は、まだ船の流通が盛んだったことが伺えます。

水郡線と並行して一高下の切通しを抜け、
那珂川沿いの貨物駅に線路が伸びておりました。
私が水戸二中に通っている頃もまだ貨物駅は残っておりました。

現在分岐点には、
水戸の獅子像があります。写真にもちょうど見切れてますね。
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かつて線路と交差していた道路の踏切の名残を見つけましたよ。
線路跡は道路になって緩いカーブになっておりますが、そちらじゃなくて、
手前の部分・・・。

道路が長年の自動車通行に耐えきれず、
アスファルトが削れてしまい、埋めた踏切であろう遺構が
顔をのぞかせておりました。
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ちょうど踏切の末端だったんでしょうかね。
踏切の上に一層アスファルトをひいただけなんですね~。

水戸市三の丸 2016年3月

by ta-tanchi | 2016-07-13 07:49 | 道路・鉄道 | Comments(0)

一高下の水郡線の擁壁は何を語る?

水郡線をまたぐ、本城橋がかかっている場所は、かつて土盛をされた道路でした

水郡線と言うよりは、明治23年、那珂川の水運を利用するべく那珂川駅に向かって出来た水戸鉄道
が、その土盛にトンネルを掘ったようです。

後に、トンネル通行に支障をきたすため、
昭和4年の陸軍大演習を機に盛土を崩し、本城橋がかけられたとのことです。

橋を架けるべく、山を切り崩して橋梁工事している写真は見たことはありますが、
トンネルそのものの写真を見たことはありません。
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線路のあるところは、水戸城の堀がそこまで深かったわけではなく、鉄道を通す際に掘り下げられ、
トンネルで抜けて那珂川駅へ結ばれたと推測しております。
橋の下のコンクリートの擁壁に対し、コンクリートの前後は石積みの擁壁です。
旧橋時代でもすでにコンクリート部分は存在してました。

もしかすると、
石積みの擁壁もそんなに古そうには見えないですけども、
石積のところまでは切通しで、
コンクリートのところが盛土部分のトンネルだった部位なのかもしれません。
ただそれだと土盛が急すぎるかもなんですがね。

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三高側は、擁壁は橋の随分手前にあるだけです。
おそらく、この部分は堀の堤だった部分だったのでしょう。
だから切り崩して、線路を作る際、擁壁が必要だったのではないでしょうか?
一高側も対になってここには擁壁あります。
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擁壁と擁壁の間が堀、擁壁部分が堀の堤、
そんな考えでどうでしょう?
堀深すぎるか・・・

水戸市三の丸  2013年5月、2016年3月

by ta-tanchi | 2016-05-27 08:20 | 道路・鉄道 | Comments(0)