人気ブログランキング |

みとぶら

mitobura.exblog.jp
ブログトップ

タグ:秘境 ( 60 ) タグの人気記事

箕川仙奕台 

前回の松風軒の続きで、
箕川仙奕台。
b0330744_22401782.jpg
箕川と書かれていますが、今は見川です。
何時から箕川が見川に変わったのでしょうね~。


石碑は箕川仙奕台なので、こちら全体の呼び名だと思ってましたが、
国交省のページで見ると、松風軒の中の箕川仙奕台なのですね。
b0330744_22402272.jpg
偕楽園の仙奕台を模したようなので、立派な石でできた碁盤と将棋盤があります。
ただ現代風というのか地べたではなくテーブルになってます。

b0330744_22402770.jpg
将棋盤です。
今風にオセロ盤でも良かったかも~

b0330744_22422103.jpg
こちらは囲碁盤
果たしてここで将棋や囲碁をしたことがある人はいるのかな?
恐らくいないのでは?

b0330744_22410654.jpg
有効には使われていないのが残念です(笑)。
今度ここで囲碁将棋大会開けばいいのに!!
b0330744_22433313.jpg
ひとつ前でもこの写真で終わりましたが、
仙奕台と銘打ったのは、良景を見ることが出来るということからでしょう。
まあ橋までいかないと見れませんが。

 水戸市見川 2015年11月




by ta-tanchi | 2019-07-17 08:09 | 街秘境 | Comments(0)

松風軒(水戸)

松風軒、知ってます?
ラーメン屋じゃないよ。

しょーふーけん!
なんだかストツーみたい。

偕楽園公園からほど近いところにあります。
b0330744_22432813.jpg
この東屋に松風軒と書かれているようですが、
読めない!。読めません。
b0330744_00190197.jpg
平成6年に、建設大臣表彰(今は国土交通大臣表彰)の 手づくり郷土(ふるさと)賞 
を受賞しています。

知らないですよね!!
松風軒。
国交省のページ内の紹介はこちら

そのページのコピペ。
見川地区は、水戸市の観光拠点である偕楽園の南に位置する住宅地域である。
「松風軒」は、都市計画道路元台町河和田線の開通により、
徒歩や自転車による通行者が増えたため、
箕川城祉に隣接した眺望のよい位置に、
休息の場を提供するために整備された。

整備にあたっては、
偕楽園に対面する位置にあることから偕楽園にある
仙奕台を模した箕川仙変台(囲碁、将棋の盤石)を設け、
人々が集い、語らう場を提供している。
また、四阿やデッキについては周囲との景観に配慮し、
銅板葺き、木造の和風仕様としている。
完成後は、通行者や散策に訪れる人々の休息や地域のふれあいの場として、
親しまれている。

そうか~親しまれているのか~、そうなのか~。
ググってもほとんど出てこないよ~(笑)。

b0330744_22434092.jpg
全体像。
あ~見たことある!、というものでしょうが、
そんなも表彰もされていたものとは… いうのが一般的な感想でしょう。

b0330744_22460790.jpg
東屋の横のウッドデッキの横に「見川城跡」の石碑。
見川城も併せて攻略しておりますので何れ機会があれば載せますね。

b0330744_22433025.jpg
そのウッドデッキからの眺めはこんな感じです。
展望台として作られたのかはわかりません。

b0330744_22433313.jpg
好文橋の上からだとこんな良い景色です。

コピペしたところに書かれていた「箕川仙奕台」は次回に続きます。

水戸市見川 2015年11月


by ta-tanchi | 2019-07-12 07:20 | 公園 | Comments(0)

なかよし 像

b0330744_13552707.jpg
なかよし という名の素敵な像が、街中にひっそりと存在しております。

b0330744_13552790.jpg
山崎猛 作品です。
山崎さんは茨大の名誉教授になった方で、
堀原運動公園の常陸山像も彼の作品です。

像の台座も素敵です。

この像は、朱舜水(しゅしゅんすい)像がある
NTTのビルの隣の建物の横にひっそりと存在しています。
b0330744_13552747.jpg
恐らくこの像の存在を知っている人って少ないでしょう。

b0330744_13552788.jpg
水戸市北見町 2016年12月


by ta-tanchi | 2019-05-06 18:44 | 街秘境 | Comments(0)

梅見門(水戸)

梅見門ってご存知でしょうか?
ばいけんもんと読むようです。
ググると、露地門の一つで、外露地と内露地の境に設けられる中門。
杉皮葺き切妻造りの屋根を二本柱で支え、竹簀戸(たけすど)を両開きとした形式。
とか、
表千家の露地にある門で、不審菴の露地と残月亭の露地を結ぶ位置にある。
杉皮葺の屋根で、両開きの竹の格子戸が、かんぬきの横木で止められている。

だそうです。
b0330744_01184538.jpg
水戸で梅見門を見つけました。
が、上記の説明のものとは違うようです。

ま~上記のものだったら、
わざわざ門に名前つけませんよね。

で、どこにあるのかというと・・・
b0330744_01213784.jpg
千波大橋


交差点です。

b0330744_01213700.jpg
ねっ。
ひっそりとあるのです。

こんなところに門あったの?
って場所ですよね。

名前があることを知っている人がどのくらいいるのかって聞かれても
ほとんどの人が知らないのでは?
相当な水戸マニアの人間でも知らないでしょう。


b0330744_01213759.jpg
杉皮葺の屋根で、両開きの竹の格子戸があるのが梅見門の定義ですが、
ここにはありません。

b0330744_01214216.jpg
門の周りの梅の飾りが梅見の所以なの?

水戸市の花である梅にあやかって梅見門にしちゃったなのかな?

真意はわかりません。

で、この門の先がなかなか写真映えする景色ですよ!
b0330744_01214316.jpg
カタツムリの模様みたい!!

こんな形の建造物にそそられませんか?
ゾクゾクするは私だけなのかな?


b0330744_01214260.jpg
下りたところから螺旋を見たところです。
ここからの見た目にはそそられません。

b0330744_01264613.jpg
下りると高架橋の下の道に出ます。


水戸市梅香 2017年10月


by ta-tanchi | 2019-02-16 07:26 | 街秘境 | Comments(0)

気になる看板?

普段通ることのない道での出会い。
b0330744_21292963.jpg
ウルトラマンさん?に遭遇!!
偶然の出会いに運命を感じました。

水戸市鯉淵町 2016年9月


by ta-tanchi | 2018-11-05 07:09 | 街秘境 | Comments(0)

木葉下金山坑口(木葉下金山と梨狩り その3)

本日のメイン、木葉下金山の坑道を見に行きます。

土地所有者のお話を聞きます。
木葉下金山の坑道には子どものころは大人に入らないように言われた話や、
戦時中に軍の人間が坑道を偵察に来た話を聞きました。
また、家の敷地内に積んである石は坑道から採掘されたもの~
みたいな話もしていた気がします(うるおぼえ)。
b0330744_07503809.jpg
山の中に入っていきます。

b0330744_07503872.jpg
途中祠がありました。

b0330744_07510226.jpg
そして木葉下金山の坑道に到着。

b0330744_07511528.jpg
ツアーで坑道に入った人は少なかったです。


ピントが合っていないのが残念な写真です。
b0330744_07505001.jpg
安コンデジではこんな撮影になってしまいます。

b0330744_07505004.jpg
中に入ると奥まで狭い坑道が続いていましたが、奥まではいけませんでした。

b0330744_07510247.jpg
坑口を見たところです。
木葉下金山は、金山開発に熱心であった佐竹時代に開かれた金山で、
産出された金は豊臣政権下において重要な資金源でした。
佐竹寮から豊臣政権に納められた金産出量は、
上杉、伊達に次いで第三位だったといわれてました。
(木葉下の金山だけで産出していたわけではない)

徳川時代になってからは、 
笠原水道を整備した 永田茂衛門(ながたもえもん) が経営していたようです。
採掘は続きましたが竹時代に採掘した量にくらべるとだいぶ少なかったとされてます。
何時頃まで産出されていたかは不明です。
坑口は散在しており、30~40ともいわれているそうです。

土地所有者の話で戦時中に軍の人間が来たとのことですが、
金属が足りない戦時とはいえ採掘を目的とするよりは、
地中の軍事施設として利用できるかという目的だったのでは?

ま、狭すぎて使えなかった、そのため今に至るという、と個人的には考察しております。

つづく

水戸市木葉下 2016年9月







by ta-tanchi | 2018-10-01 08:21 | 街秘境 | Comments(0)

お食事処 あぼっけ

水戸の中心地では見られない、辺境の地に存在している物件を。

「お食事処 あぼっけ」
b0330744_07511575.jpg
一昔前は、自販機の隣の建屋に、食事系の自販機があったようですが、
撮影時は飲料自販機と、妖しいピンク系自販機でしたね。
ということで、名ばかりで食事はできません(笑)。

ストリートビュー見ていると、変化がありますね。

ストリートビューでは2014年2017年 でだいぶ変化があります。
写真撮影したのが2016年ですが、青い自販機は一時的に置いてあったようですが、
ここで飲料買う人は稀だったでしょうね。

ピンク系、古そうだけど今も稼働している可能性はあります。
一定の需要があるのでしょうか?

b0330744_07511534.jpg
この次から木葉下金山ネタを展開していく予定です。

水戸市木葉下 2016年9月




by ta-tanchi | 2018-09-24 09:06 | 街秘境 | Comments(0)

芦山浄水場 その3 正門と事務所

芦山浄水場の正門に戻ります。
b0330744_01284808.jpg
正門では、すぐそばに事務所があります。


当初の平面図にはない、門のすぐに土塁が築いてあります。
それによって事務所の全体像が見えない状態です。
浄水場の塀に登れば中は見れると思いますが、
そこまでは・・・。
b0330744_01284865.jpg
入口や、その周囲の塀を見ると、当初の形よりも高さを増した痕跡が認められます。
門柱の一番一番上の石の風化が違いますし、
門の横のコンクリートの何かしらの跡があります。

b0330744_01284838.jpg
何故??
と思い考察しました。
もしかすると水道史を熟読すれば答えはあるかもしれませんが、

昭和13年7月と9月の大洪水で
開業以来初めて、浄水場は濁流に飲み込まれたのです。

当時の写真はわからないのですが、
おそらく水害対策のために土塁のかさ上げ工事をしたのではないでしょうか?

その後も昭和16年の洪水でも水没するのですが、
その時の写真を見ると、この形にはなっていました。

続く

水戸市渡里 2017年2月



どういうわけかリンク先の写真が反映されません・・・






by ta-tanchi | 2018-06-19 08:27 | 建物 | Comments(0)

芦山浄水場 その2 ポンプ場、ろ過池など

芦山浄水場は、昭和7年に竣工し、
平成5年に廃止になるまでは使われていました。
最近はロケにも使われている施設でもあります。

中に入ることはできませんが、那珂川の堤防から、
特徴的な建物を見ることができます。
b0330744_13485769.jpg

那珂川からの水を引くためのポンプ場です。

b0330744_13490321.jpg

那珂川の堤防側にも門があります。この門の下あたりに
那珂川からの導水管が今も埋まっているでしょう。

b0330744_13485782.jpg


b0330744_13485707.jpg

奥が濾過池、手前の施設は、当初の平面図にはないものです。

b0330744_13485708.jpg

沈殿池のヘリはレンガ積なんですね。
また、当初の平面図には予備濾過池と書かれている
奥のエリアにも沈殿池が拡張されてます。

b0330744_13490429.jpg

また、ポンプ場の西側は、当初の平面図には全く記載されていない部分で、
後に拡張されたエリアです。
地下にある施設のようです。浄水池とのことです。

下の付近図で見ると、左側の空き地になっているところですね。

b0330744_11304562.jpg

さてこの図を見ると、那珂川の中洲までの導水管が書かれております。
当時は那珂川に中洲があったわけです。
そして、そこの中州下の伏流水をくみ上げていたのです。

この辺りまでは、満潮時、塩水が上がってくるギリギリの地点でもあります。
単なる川の水ではなく、奇麗な伏流水、
そして、塩水の混じった水を汲まないためでもあったのかな?

b0330744_13490450.jpg

では、那珂川を見てみましょう。
対岸の岸に構造物が見えてます。
これってもともと那珂川の中州であって、
伏流水の取水口ですよね!!

b0330744_13475884.jpg

もっと拡大したいところですが、すいません。
Googleではこんな感じ
表示を地図にすると中州になってます。

これが残っているとか知りませんでしたので
存在していることに正直驚きました。

こういう近代的な水戸市の発展に寄与した施設が、
日の目をあたることもなく
市民にも軽くスルーされているのは
寂しい限りです。

続く
水戸市渡里 2017年2月










by ta-tanchi | 2018-06-15 08:14 | 建物 | Comments(0)

水戸市芦山浄水場 その1 近代水道への流れ

水戸には笠原水道という上水道設備がありました。
その後引き継いだ近代水道です。

近代水道以前の飲用水源というと、
河川水、井戸水、
水源地とする湧水や河川等に水源を求め
そこから都市部にむけて石樋や木樋で市街地への井戸等へ送水し
飲料水を得ると旧水道といったものがあげられます。

江戸時代末期、
外国からの病原菌の侵入がありコレラの大発生が起こります。
明治になると、
また赤痢、腸チフスなどの伝染病が毎年一定の数発生してました。

伝染病の原因は飲料水に問題があったのはわかっていたので、
ろ過・消毒などを行った人の飲用に適する水を供給する、
近代水道布設の緊要性が提唱されるようになったのでした。

明治20年(1887年)、横浜の外国人居住地での給水が始まりです。

水戸では、大正14年、那珂川沿岸数か所の地で調査した結果、
渡里村の那珂川の中州から、
伏流水を取水することに定めたことに始まります。

中洲の伏流水ですよ。ただ那珂川から水を取水したのではなく。
河道の下、砂利層の下に流れるきれいな水を利用するというのが
素晴らしいですね。

b0330744_11304571.jpg
昭和5年11月に起工し、
緩速濾過法による芦山浄水場、高区配水塔と低区配水塔
を建築し、当時の水戸市全域を給水区域として
昭和7年に竣工しました。

b0330744_01284753.jpg
最初から芦山浄水場と名乗っていたわけではなく、
水戸市浄水場がもともとの名前なのでしょう。
b0330744_01284791.jpg

つづく
平面図は、水戸の水道史
 水戸市渡里 2017年2月






by ta-tanchi | 2018-06-12 07:53 | 建物 | Comments(0)