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タグ:旧町名 ( 16 ) タグの人気記事

不思議な常磐町

この画像は私のカーナビではなくお借りした画像です。
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見ていてあれっ?て思いませんか?
駐車場の数じゃないですよ。

タイトルにもあるように常磐町という地名が、梅香の下にあるのです。
常磐町って何処なのか?といえば、偕楽園のあるエリアですから、
この上の写真に出ている常磐町って書かれていてもピンときません。
ですから、間違えてませんか?というふうに思ってもおかしくはないのですが、
間違いではなく、地図の場所は常磐町なんです。

ググるとわかります。検索結果

ここは常磐町の飛地なんです。

他の一般的なエリアの常磐町は、
〇丁目という表記になるのに対し、
常磐町6234 で、丁目表記がない
不思議な一角なのです。

この土地に何があるかというと、
JR貨物の水戸駅など、があります。

一昔は「水戸アイススケート場」も貨物駅の隣にありましたが
常磐町だったのかしら?ググっても
簡単には水戸アイススケート場は出てきません。

ということで、
何故ここに常磐町が存在しているのかを考察します。

「水戸の町名」に少々書かれてました。
常磐町は、明治22年市制施行時に常磐村のうち字神崎が水戸市に編入され、
昭和8年、字神崎から常磐町と改称されました。
その際、市制施行時に常磐村から編入した、
市街地の南側崖下と千波湖沿いや西の谷の
神崎下、妙法崎、青川、五本松下、鈴坂、梅香下という字名地名も常磐町になりました。

これは、今の町名区分とは異なりますね。
そしてこのエリアだけ離れて常磐町名が残ったのは不思議に感じます。

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昭和27年の空中写真です。
まだ貨物駅はできていません。
この時は、千波湖の北側、常磐線の線路沿いは、田んぼでした。
今でこそ、線路の南側が千波町、北側は備前町などになってますが、
線路の北側の低い地面が常磐町だったのでしょう。
備前町のあたりは今はマンションの駐車場だったり、

貨物駅ができた当初はまだ旧町名が残っていたころで、
区画の整理もなかったでしょう。
本来ならば、梅香という地名の場所になりそうですが、
常磐町のまま残ってしまった。
というよりは、わざと残したと私は考えております。

ここに国有鉄道の貨物駅。
全国的にもう常磐町6234という住所が記載されて広まってしまっている。

貨物駅の町名の改定があったとしたらどうでしょう?

住所変更のお知らせをを日本中に伝達しなくてはならなく、
大変ですよね。
変更があれば貨物や荷物も届かなる恐れもあります。

ということで丁目がつかない旧住所のまま常磐町が残った
というこではないでしょうか。

実際の事はわかりませんよ。私の推測にすぎません。







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by ta-tanchi | 2018-10-17 08:38 | 街秘境 | Comments(0)

旧町名鷹匠町の東側のライン

古い水戸市内の地図を見ていると、
鷹匠町の東側である裡南町、藤沢小路、大坂町の区割りが
ほかの区割りと比べて中途半端にグネグネしているのが気になりました。
なのでそれを見てきました。
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ちなみに裡南町と藤沢小路の境界は狭いですが現在道路が出来てますね。

虚空蔵坂側から見ていきます。

虚空蔵坂は、丁度谷底になります。
左が大坂町、右側は鈴坂町となります。

b0330744_01014905.jpg

上の写真は虚空蔵坂、そしてその反対側。

鷹匠町はこの坂の正面の、建物が建っている左側が境となります。
建物も含め、右側の高い土地が大坂町となります。
(この記事を書いているまでは建物は鷹匠と思っていました)
この延長線の谷地と台地の高低差が鷹匠町と大坂町の町界となっていたようです。

追っていきましょう。

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大坂町側にある駐車場から、谷にある駐車場、虚空蔵坂を見ます。

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奥に写って白い建物がいるのが最初紹介した建物です。

現在建物の色を変えたアパートの壁側が大坂町、藤崎小路側、駐車場側が鷹匠町。
高低差が結構あります。

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現在使われていない階段がありますが、
見てもらう段差がかなりあるのがわかるかと思います。

地図見ているだけではこの高低差、わからないですよね。

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鷹匠町側から高低差を見ると、段差あるのがよくわかります。

リリー文化学園の前の道路も、
鷹匠側と藤沢小路の十字路までの高低差があります。
また、民家になってますが、この道路を境に谷地になっているようです。

分かりにくいですよね。
歩いてみてもらうとよくわかります(笑)。

水戸市梅香 2016年3月5月

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by ta-tanchi | 2018-08-17 07:14 | 旧町名 | Comments(0)

大坂町 はとても長かった

前出で大坂を紹介しました。
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かつては、梅香からの直線道路南の崖の突当りから、
水戸二高裏の北の崖の大坂まで、
台地を南北に横断する道が大坂町と名付けられておりました。
江戸時代の半ば?に
大坂のある北ではなく、南端だけの町名となってました。
坂がある位置に町名が残らず、離れ離れっていうのも不思議な感じです。

この南北の通りは、上市から那珂川までの道で、
水運を利用していた時の重要な道でもありましたが、
水運が陸運に負けるようになって
道の往来も南北から東西へと変わってしまったのでした。

また、渡し船で青柳へそして、太田までの街道筋にあたります。


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大坂町の石碑は写真左の赤い看板付近にあります。


南端から勾配が続きます。手持ちのGPSではここから南町2丁目交差点まで5mと高低差があります。
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50号線を境に次の交差点までは緩い下り坂に。


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そしてまた大坂まで登り勾配となります。

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振り返ってみるとこんな感じです。
ちょうど車が通っているところが土地が低いのが分かりやすいかな?

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水戸二高の塀の高さも上り坂でブロックの数が減っていきます。

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大坂前の交差点から振り返ったところ。
この通りがさらに昔の大坂町となります。長いですね。
梅香の始まり部分から坂下までで1キロくらいあります。

また、
台地にも高低差があるのがよくわかりますね。

このユルイだらだら坂に、坂道名がついてもいいような気が・・・
勝手に旧大坂町坂とでも名付けておきます(笑)。

水戸市梅香 南町 大町 2018年1月





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by ta-tanchi | 2018-01-29 08:14 | 旧町名 | Comments(0)

渋井町の地名考察

国道6号線バイパス、茨城交通の浜田営業所そばの浜田十字路の東側、
福徳弁財天の参道の東側は渋井町です。

今回はこの「渋井」の地名について考えていきます。

鎌倉期には渋江という名はあったようです。
この時は信田尻村(信太尻村?)内の地名だそうです。
佐竹時代には渋井村です。

江を示すのは入江のことですね。
海や湖が陸地に入り込んだ地形のことです。
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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。

上の図のちょうど真ん中の黄色の部分から
その下の旧河道とその周りの自然堤防の付近が渋井町です。

那珂川の旧河道域が入江となって湿地になっていたと考えます。

字のとおり、渋井を渋った水が井戸から出ている場所という解釈も有りますが、
「え」がなまって「い」になったと考えるのも筋が通っていませんか?
地形を読み取って書いているだけですので本当のところはどうなんでしょう?

ちなみに吉沼町は
ちょうどUの字になっている旧河道と那珂川の間の地名を言います。

名前の通り、大干ばつでも枯れることのない沼があり、
ヨシ(アシ)が多いことによると伝えられているようです。

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那珂川の旧河道を見ると、那珂台地と東茨城台地の間は堆積平野です。
那珂川の氾濫の繰り返しで、微高地である自然堤防と、
後背湿地が入り乱れております。





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by ta-tanchi | 2017-07-08 07:01 | 旧町名 | Comments(0)

頭無と首無 の地名考察

頭無は、渋井町の字名です。
頭無は、「あたまなし」ではなく「かしらなし」です。
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1/5万 昭和22年5月30日発行「那珂湊」
です。
現在の地形図を見ても(国土地理院のページから見ることができます
頭無の字名は記載されております。

ちなみに下道や、極楽は名前がなくなってます。

「頭無」という地名がどのあたりかわかる人って
少ないのではないでしょうか?。

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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。


頭無と首無を考察してみましょう。

「首なし」地蔵と本に記載されているのは 網代茂著、水府異聞
「くびなし」と読むわけでしょうか?
「しぶい」という本に小字名「首なし」と書かれておりますが
これも読みは「かしらなし」でしょうね。

頭無も首無も字の意味は同じでかつ、読みは「かしらなし」なんでしょう。
地名は漢字が先ではなく、呼び名に字を当てたので、
何通りかの字は違うとも読みが同じなのでしょう。

だから首でも頭でも、
そういう記載があってもおかしくないと思います。

例えば、酒門は坂戸だったりしたんですよね。見川も箕川だったし。

頭無とは、水源がはっきりしないところ、
水の流入がわからないところ、
という意味の言葉みたいですよ。

上流側が頭となるわけですから、上流がよくわからない場所、
水の流れのスタートが無い場所という意味なのでしょう。

那珂川の旧河道の上流側、
ゆるい斜面の付いた微高地(自然堤防)には水の出所がないけど
その周囲は水がたまるという地形を
治水地形分類図からも裏付け出来ている感はあります。

つづく



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by ta-tanchi | 2017-06-29 17:56 | 旧町名 | Comments(0)

赤沼牢屋敷跡

この碑が建っている辺りに、
赤沼牢屋敷がありました。
前出の旧桜川の河畔になります。

佐竹の時代にこの地に造成したといわれており、
明治2年に廃止されました。
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この地は、個人所有の土地で
昭和13年に慰霊碑を建立し。
昭和62年に「赤沼牢屋敷の由来記」が建てられました。
由来碑は老朽化で平成9年に再建されております。
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幕末における水戸藩内の天狗、諸生の争いによって
慶応元年(1865)天狗党の三木源八ほか19人は市内引き回しの上磔、
赤沼では天狗に属する20余人が斬首され、
敦賀で処刑された武田耕雲斎の家族たちも連座によって死刑となって、
妻とその子(9歳、3歳)や一族を斬首されたと言います。
諸生も同様に死罪になったものがいたそうです。

赤沼の由来は、この地に赤色の沼があったのでそう呼ばれたようです。
決して斬首の際に血が流れて赤沼と言われるようになったというようなことはありません。

笠原水道が引かれたのもこのあたりの渋水対策でもあります。


水戸市東台 2016年12月





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by ta-tanchi | 2017-06-08 06:53 | 記念碑、記念像系 | Comments(0)

釜神町の由縁が残っていた?

釜神町の話は以前に書きました。

戦前までは釜神町の由来となった竃神社が
この写真付近の宅地内にあったそうで、
疫病退散霊験をもち、幼児の病気をよく治すと言われ信仰されていたとのことです。
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現在は集合住宅となっております。

よく見ると・・・
祠が!!
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戦前の物ではないでしょうけど、
しっかりと守られているようですね。

水戸市備前町 2015年8月


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by ta-tanchi | 2016-09-18 11:32 | 旧町名 | Comments(0)

旧町名が残るもの

小ネタです。
水戸市の旧市街の町名は昭和40~50年代に現在のものに変更されました。

現在、下の写真のように、歴史を伝えるべく旧町名表示柱に記されております。
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旧町名を記しているのは石柱だけではありません。
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電柱はきっと新しく立て直していても、
表記されている呼び名はされたままです。
鷹匠、黒羽根・・・

皆さんも市内で電柱を見てみると意外な発見があるかもしれません。

水戸市南町 2012年6月


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by ta-tanchi | 2015-01-14 19:48 | 旧町名 | Comments(0)

銭谷稲生神社 その2

その2では、稲荷神社以外のものを紹介します。

銭谷稲生神社の銭谷という地名の由来は、
この神社の敷地でで寛永2年(1625年)に最初に寛永通宝銭を鋳造したことにより、
銭屋という地名になり、後に銭谷と記されるようになったからです。
旧町名はこの一帯を銭谷前といいます。

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ここで鋳造された銭は「水戸銭」と呼ばれていたそうで、
そこからきたのでしょうか?
水戸大黒銭とか書かれた石物がある。
大黒様と銭をかけた創作物でしょうか?

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銭を供養する銭塚。赤字が毒々しい感じもしないではないですね。

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銭谷盆唄発祥之地 の碑

銭谷盆唄
ハーア イヨウ
銭谷エ田圃からエ蛇が出たとても
銭谷エ通いはエやめられぬ
(ハア アリヤ アリヤ アリヤサ)

という唄です。
盆踊りこれでするのかな?

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銭座神社

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銭谷稲荷の拝殿と本殿の裏と横には
玉姫稲荷神社、天満宮(奥)、猿田彦神社、道祖神社、足尾神社、疱瘡守護神社など
末寺が並んでいます。

銭谷稲生神社、
訪問してなんだかパワーもらえるような気がしたのは気のせいでしょうか?

水戸市浜田町 2014年8月



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by ta-tanchi | 2014-11-04 18:39 | 寺社 | Comments(0)

馬口労町 「若い力」像

末広町2丁目バス停の三角形の地形は、
かつての旧市街地の鍵型道路(枡形道路)の名残です。
この国道に沿って馬口労町と呼ばれておりました。

鍵型道路を解消して出来たスペースには
若い力 の銅像があります。
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これは、
新修道路開通記念で
昭和39年7月31日に建てられたものと台座に書かれております。
後で読もうと思って撮影したのですが、かなり読みにくいですので
細かい内容は記載しません。


今でこそやや狭めの片側2車線道路ですが、
戦災もなかったため、戦後も昭和30年ころまでは、
バスがすれ違うのも大変だった道幅しかありませんでした。

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アーモンドケーキで有名なシュールは、銅像、木の裏の白い建物です。

そして角地には常陽銀行末広町支店があります。
一昔は馬口労町支店だったとのことです。

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この銀行の壁面には、旧町名が書かれたタイルが埋め込まれております。

水戸市末広町 2014年9月


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by ta-tanchi | 2014-10-21 20:19 | 旧町名 | Comments(0)