最初に述べておきますが、頭無地蔵尊、首無地蔵尊と呼ばれている地蔵はここにある地蔵の頭首がないからそう呼ばれているわけではありません。
網代茂著、水府異聞を読むと、赤沼牢屋屋敷で斬首された遺体の慰霊に首なし地蔵
(地蔵に首がない理由の記述はないのですが)・・・
とあり、
赤沼の牢屋敷のから始まり、
頭無(首無)、地獄橋、までのことが書かれております。
そして、地獄橋の先にある極楽橋に至るまで、
何かストーリーがあって
つながりがあるのかなあ~と・・・。
赤沼の赤から連想される言葉は血の赤、
頭無から連想される言葉は斬首、
地獄橋は土壇場と呼ばれ処刑者を埋めた土地、
極楽橋の地獄との対義語
暗黒的ワードだらけでこれらに関連があるのか?
そんなことで、前出の福徳弁財天からこの地を通り、
最終的に新川の河口まで歩いてみました。
そんなわけで地獄極楽ウォーキングなんです。
そして歩いた後、考察してみましたが、
斬首と頭無は全く関係がありませんでした。
そりゃそうですよね。

この首のない地蔵があるから地名が頭無(首無)になったわけじゃないです。
地名が存在したところに、たまたま頭首がなくなってしまった地蔵があった。それだけのことです。
首がない罪人が通ったから頭無(首無)という地名になったというのは無理がありすぎです。
この地域の女人講がありました。今でもあるのかもしれません。毎月19日夜になると念仏を唱えるという風習があったようです。その念仏の中の一節に女人泰産心安穏 心根具足意自在 寿命長達願成就南無頭無延命子安地蔵尊があります。
そういう信仰の対象であったわけですよ。
それが首が現在存在しないが故、斬首された体を想像するのはストーリーとしては面白いでしょうけど、違うますよね?。
わざわざ地蔵さんの頭首を壊して奉るなんて趣味悪いし、罰当たりじゃないでしょうか?
私は結構水戸の中をぶらぶらしていますが、頭首のない地蔵はここだけではないです・・・。
ではなぜ頭首がないのか?
ここにある地蔵さんを見ましたが、石の性質でしょうか?かなり風化が激しいですね。砂岩でしょうか?
東日本大震災で被災した地蔵さんたち、倒れて結構頭折れてました。
風化や、何か地震等で倒れたりして首がもげた。
また、これだけ首がない地蔵が集められていることから、廃仏毀釈も考えられますね。
と考えるのが妥当だと思います。
と書きつつ、地名と全く関係なく首がないだけでたまたま地名と相まって呼ばれていれば話は別ですけど・・・
次回は、頭無の地名を考えます。
水戸市渋井町 2016年6月