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御瀧山井戸権現 その2

前回、御瀧山井戸権現を紹介しました。

その権現様の下を行ってみます。
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権現様の御手洗がありますので行ってみます。
汚すような罰当たりがいたら困りますね。

進むと左側から石碑、祠、そして観音様があります。
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観音様の下からは水が湧き出ております。よく見ると、観音様の台座は龍です。
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これが神泉(御手洗)、水がこんこんと湧き出てきております。
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湧き出ているところを撮影しました。

飲んでみると、口当たりの優しい味わいでした。

この湧水(滝)よりも低いところに橋を作っって
そのため滝下橋という名前ができたのでしょう。

これがきっと滝下橋の由来なのでしょう。

普通、滝というと落差があるところの流れをイメージしますが、
小沢の滝もこんな感じですね。

こんな感じのところも水戸は滝って呼ぶのかな?
以前は水量がもっと豊富だったのかな?


水戸市見川 2017年2月






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by ta-tanchi | 2017-10-08 07:48 | 街秘境 | Comments(0)

大場村道路元票

大場村道路元票

大場村は昭和30年まで存在し、その後常澄村になりそして平成4年に水戸市になりました。
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道路元標(どうろげんぴょう)とは道路の起終点を示す標識です。
ですので、大場村時代は、ここを基準に街道や枝道の距離を測定したようですよ。

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今は草叢にぽつっと残っているのですが、
これは大場村役場があったところにあったようです。
その後農協の支所となりその後にも建物は転用されたようです。

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建物の入口の左側にあるのが道路元票です。

しばらく前に通ったら、この建物は存在せず、太陽光発電のパネルを設置しておりました。


水戸市大場 2011年8月

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by ta-tanchi | 2017-09-18 09:10 | 道路・鉄道 | Comments(0)

破壊と創造

破壊と創造
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凄いスローガンですね。

目に入ったときにウンン?
となりましたよ。

これがあるのは、ミトリカ という会社にあります。
ミトリ カ で区切ってしまいました。
そうではなく ミト リカです。
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というわけで、ミトリカってごめんなさい。知りませんでした。

元々、水戸理科ガラスという会社で、
検索すると、高品質のガラス・石英セルをはじめ
分析用光源のホロカソードランプ、重水素ランプ、理化学機器など、
様々な加工品、製品を社会に提供し続けております。

理化学機器などは、もしかすると世界的な研究機関でも使われているのかもしれません。
医療の発展や科学、工業の分野に貢献しているのかな?。
もしかするとノーベル賞を獲得できるような研究でも用いられているかもしれないよなあ~
と考えると、夢が広がっていきます。


スローガンも会社を知ると納得できました。

水戸のグローバルな企業です。

あ~知らないことだらけだ。

水戸市千波町  2017年8月





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by ta-tanchi | 2017-09-01 07:20 | 街秘境 | Comments(0)

土壇場と冥加淀と吉沼磔場を考察する

渋井町緑地と境橋(地獄橋)と吉沼磔場といわれている場所を
中心とした空中写真を用い考察していきます。

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昭和27年

新川の河川改修が行われる前の状態です。
河が蛇行して現在とは大きく違います。

中心辺りにあるのが境橋。
この橋が架かる前はどこに橋があったのかな?

河川改修で消えた冥加淀は、
橋の左側の木が茂っているあたりなのかな?

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昭和49年

河川改修が行われ、川も道も農地も大きく変化してしまい、
改修前の面影がほとんどなくなってしまいました。

境橋の左側は川の蛇行があったあたりが荒地のようになっております。

橋の右側も大きく変わり、旧河道は荒地と池になっております。
境橋北側の農地も区画整理がされ、道路もまっすぐになってます。

ということで、河川改修並びに区画整理にて、
「水府異聞」で出てくる吉沼磔場跡の荒地が完成するわけです。

そうなると、前出の吉沼磔場とされる場所って、
違和感ありません?

あったとすれば、そこじゃない・・・。

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河川改修前の新川跡は空き地の草叢と青いポンプ小屋の間あたりに続いていたようです。
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直近の平成24年では、ようやく渋井町緑地が出来てます。

昭和49年の写真と比べると、
緑地の石碑がある辺りは耕作地からの転換部分ですね。
緑地が土壇場だとしても、河川改修で埋めた土地もあるわけですから
土壇場は今の緑地からするとかなり小さいものだったのでしょう。

なので今の境橋のそばに土壇場は存在していたわけではなく、
橋からやや奥まった場所だった事が伺えます。
渋井町緑地のちょうどゲートボール場として整備されたあたりなのかな?

橋の位置は現在と違ったというのならば橋の位置も分かりません。
区画整理されてわからないけど、土壇場に近い橋の位置となると、
あさひ幼稚園の裏の昭和27年の空中写真でも写っている
小径の先にでも架かっていたのかな?

まあそんな考察。

そして最後に・・・
土壇場って首切りのための首を載せる盛土ところという意味を知っていると
「土壇場」って言葉にしたくないですよね。
いい言葉だと思わないわけです。
先日の高校野球決勝戦でもアナウンサーの口から
「土壇場で~」フレーズが幾度となく使われていて
残念というかなんというか悲しいというか・・・。
勝負事なら土俵際とか違う言葉使ってほしい・・・。










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by ta-tanchi | 2017-07-28 17:51 | 街秘境 | Comments(2)

吉沼磔場は本当にここなのか?

吉沼磔場は本当にここなのか?
と書いておきながら、
そもそも磔場があったのかは知りません。
「水府異聞」に書かれている言い伝えしか情報を得れるものがありません。

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水府異聞読んで、ああそうなんだ~、ここ磔場なのねって思っていて訪問したんですが、
行ってみるとなんだか違和感・・・・

わざわざ土壇場と呼ばれた「死者を埋める土地」があって、
磔場があったならば、わざわざ橋を渡ってそのような施設を作るのかな?


江戸時代、橋といっても街道筋でもない橋ですから粗末な橋でしょう?
川で対峙したものをわざわざ作るものなのでしょうか?

そもそも、江戸時代の橋の位置が違ったのであればここって違うんじゃないの?

渋井町緑地石碑に磔場のことは書かれておりませんので
磔場が本当にあったのかわかりません。
だから無かったのかもです。

この地のことを考えるとますます違和感が増していきます。


行ってみてわかったのですが、そもそも客土されているので
田んぼに利用できない土地でタダ放置されているだけと思われます。
そう考えるとこの土地、磔場ではない。

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河川改修された新川。ということでさらに次回に続きまず。


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水戸市渋井町 吉沼町 西大野 2015年9月 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-07-26 07:12 | 現存しないもの | Comments(0)

かつて「土壇場」と呼ばれていた渋井町緑地 


渋井町の末端部、新川沿いに整備された渋井町緑地です。
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碑があるのですが、その裏側に碑文があります。
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渋井町緑地碑

この地は 渋井町の田園地帯の一角にあり
自然環境が豊かに残されているところである
年々歳々自然環境が失われているなか
地域からこの自然環境を守り
育てる意識のもとに 公園としての要望があり
その熱意に応え水戸市が整備したものである

また この地は 幕末における藩内の争乱の際に
処刑された人々の遺骸が運ばれ 埋葬されたと言われている
そのため 近在の人々は この地を「土壇場」と呼び
新川の淀みを「冥加淀」と言い伝えている
新川改修工事により当時の淀みは残っていない
この緑地公園が地域の人々に愛着を持って
静かに憩える公園として末長く利用されることを願っている

平成四年三月吉日 水戸市建立

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碑文の前は広場です。

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その広場の上流側にはゲートボール場っぽい広場と
数本の植栽があり、結構広いです。

「水府異聞」という本(水戸市の図書館ならどこにでも置いてあります)
を読んでこの地のことを知り、
今回訪問前にも訪問してました。

碑文を読むと、
この公園となったところに死者を葬ったんだな~と
何とも言えない複雑な気持ちになります。

が、
赤沼~頭無~渋井町緑地(土壇場)を歩いてきた道、新川について後で考察すると
訪問後に碑に書かれている一文、
新川改修工事により当時の淀みは残っていない)が引っかかります。

どういうこと? 
 
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この写真は渋井町緑地を新川の対岸から見たものです。
木の茂みが2つ上の写真の植栽です。
河川改修されてまっすぐ流れている新川。

改修される前の新川ってまっすぐ流れていたの????
無駄に広い公園は、もともと土壇場といわれたすべての面積なの????

と疑問点が・・・。

なんだか公園の縁が変な形しているなあ~と思うところがあり撮影してました。




変にカーブしてますよね~

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このまっすぐじゃない隣地との境は、
河川改修前の川の流れの痕跡ではないのでしょうか?

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公園の末端に行くと不自然な三角形の使われていない土地があります。

つづく

水戸市渋井町 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-07-20 07:17 | 公園 | Comments(0)

頭無地蔵尊(首無地蔵尊)

最初に述べておきますが、
頭無地蔵尊、首無地蔵尊と
呼ばれている地蔵は
ここにある地蔵の頭首がないから
そう呼ばれているわけではありません。

網代茂著、水府異聞を読むと、
赤沼牢屋屋敷で斬首された遺体の慰霊に首なし地蔵
(地蔵に首がない理由の記述はないのですが)・・・
とあり、

赤沼の牢屋敷のから始まり、
頭無(首無)、地獄橋、までのことが書かれております。

そして、地獄橋の先にある極楽橋に至るまで、
何かストーリーがあって
つながりがあるのかなあ~と・・・。

赤沼の赤から連想される言葉は血の赤、
頭無から連想される言葉は斬首、
地獄橋は土壇場と呼ばれ処刑者を埋めた土地、
極楽橋の地獄との対義語

暗黒的ワードだらけでこれらに関連があるのか?
そんなことで、前出の福徳弁財天からこの地を通り、
最終的に新川の河口まで歩いてみました。
そんなわけで地獄極楽ウォーキングなんです。

そして歩いた後、考察してみましたが、
斬首と頭無は全く関係がありませんでした。
そりゃそうですよね。

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この首のない地蔵があるから地名が頭無(首無)になったわけじゃないです。

地名が存在したところに、たまたま頭首がなくなってしまった地蔵があった。
それだけのことです。

首がない罪人が通ったから頭無(首無)という地名になったというのは
無理がありすぎです。

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この地域の女人講がありました。今でもあるのかもしれません。
毎月19日夜になると念仏を唱えるという風習があったようです。
その念仏の中の一節に
女人泰産心安穏 心根具足意自在 寿命長達願成就
南無頭無延命子安地蔵尊
があります。

そういう信仰の対象であったわけですよ。

それが首が現在存在しないが故、斬首された体を想像するのは
ストーリーとしては面白いでしょうけど、
違うますよね?。

わざわざ地蔵さんの頭首を壊して奉るなんて
趣味悪いし、罰当たりじゃないでしょうか?

私は結構水戸の中をぶらぶらしていますが、
頭首のない地蔵はここだけではないです・・・。

ではなぜ頭首がないのか?


ここにある地蔵さんを見ましたが、石の性質でしょうか?
かなり風化が激しいですね。
砂岩でしょうか?

東日本大震災で被災した地蔵さんたち、
倒れて結構頭折れてました。

風化や、何か地震等で倒れたりして首がもげた。

また、これだけ首がない地蔵が集められていることから、
廃仏毀釈も考えられますね。

と考えるのが妥当だと思います。

と書きつつ、地名と全く関係なく首がないだけで
たまたま地名と相まって呼ばれていれば話は別ですけど・・・

次回は、頭無の地名を考えます。

水戸市渋井町 2016年6月



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by ta-tanchi | 2017-06-26 18:01 | 石仏、道標 | Comments(0)

神崎寺には石仏めぐりの道があった模様

天王町の神崎寺は古くからあるお寺です。
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今回紹介するのは、お寺入って右側に進んだところにある
石仏群です。
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石仏群の先には西の谷の斜面に続く道の痕跡があります。
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そして少し離れたところにも、道の跡が・・・。
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2月で、草木の枯れた季節でもちょっと進める感じはしません。
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この道は、以前石仏めぐりの回遊路として整備されていたようです。
八十八ヶ所巡りを模しているとも(未確認)・・・

西の谷から神崎寺側の斜面を見ると、
ところどころに石仏があるのが確認できます。
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こんななにも無さそうなところを目を凝らすと
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石仏があります。
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下の写真は、以前紹介した石仏です。
ブログ初期に西の谷のかくれた石仏 という記事を載せたものも
神崎寺の石仏めぐりの小径上にあったもののようです。

なんとなくの想像ですが、
この小径は、神崎寺から西の谷に降りるための古道を利用しているのかもしれません。
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早起きをして、情報を仕入れ、この道の存在を知ったわけですが、
こういう埋もれたネタってきっとマチナカにはまだまだあると思うのです。

残念ながら石仏めぐりの小径は整備されることは無いのかな?


水戸市天王町 2015年9月 2016年2月


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by ta-tanchi | 2017-05-27 07:19 | 寺社 | Comments(0)

街中に残るトロッコ軌道跡?

茨城食糧会館。
戦後高度成長期前くらいに建ったかんじですね。
築60年経っているくらいでしょうか?
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入口の
意匠が昭和デザインで素敵です。
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その建物の横に、軌道を発見しました。
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建物手前はコンクリートで埋められておりますが、
軌道ですよねえ。
手押しトロッコ????
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道路から奥に伸びていたようですが、
重い食糧?を奥に運ぶためのものだったのでしょうか?
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かつてはこのシャッターの中に続いていたのかな?
埋められて何かの設備が置かれてしまって
シャッターも開けることはできませんね。

水戸市大町 2016年3月

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by ta-tanchi | 2017-03-03 07:50 | 街秘境 | Comments(0)

素敵なステンドグラス

とある建物の入口で見かけました。
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水戸芸術館の塔と好文亭と千波湖、そしてビル群。
素敵です。

水戸市常盤町 2016年2月


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by ta-tanchi | 2017-02-01 07:49 | 街秘境 | Comments(0)