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タグ:旧町名 ( 13 ) タグの人気記事

渋井町の地名考察

国道6号線バイパス、茨城交通の浜田営業所そばの浜田十字路の東側、
福徳弁財天の参道の東側は渋井町です。

今回はこの「渋井」の地名について考えていきます。

鎌倉期には渋江という名はあったようです。
この時は信田尻村(信太尻村?)内の地名だそうです。
佐竹時代には渋井村です。

江を示すのは入江のことですね。
海や湖が陸地に入り込んだ地形のことです。
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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。

上の図のちょうど真ん中の黄色の部分から
その下の旧河道とその周りの自然堤防の付近が渋井町です。

那珂川の旧河道域が入江となって湿地になっていたと考えます。

字のとおり、渋井を渋った水が井戸から出ている場所という解釈も有りますが、
「え」がなまって「い」になったと考えるのも筋が通っていませんか?
地形を読み取って書いているだけですので本当のところはどうなんでしょう?

ちなみに吉沼町は
ちょうどUの字になっている旧河道と那珂川の間の地名を言います。

名前の通り、大干ばつでも枯れることのない沼があり、
ヨシ(アシ)が多いことによると伝えられているようです。

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那珂川の旧河道を見ると、那珂台地と東茨城台地の間は堆積平野です。
那珂川の氾濫の繰り返しで、微高地である自然堤防と、
後背湿地が入り乱れております。





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by ta-tanchi | 2017-07-08 07:01 | 旧町名 | Comments(0)

頭無と首無 の地名考察

頭無は、渋井町の字名です。
頭無は、「あたまなし」ではなく「かしらなし」です。
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1/5万 昭和22年5月30日発行「那珂湊」
です。
現在の地形図を見ても(国土地理院のページから見ることができます
頭無の字名は記載されております。

ちなみに下道や、極楽は名前がなくなってます。

「頭無」という地名がどのあたりかわかる人って
少ないのではないでしょうか?。

b0330744_23215353.jpg
治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。


頭無と首無を考察してみましょう。

「首なし」地蔵と本に記載されているのは 網代茂著、水府異聞
「くびなし」と読むわけでしょうか?
「しぶい」という本に小字名「首なし」と書かれておりますが
これも読みは「かしらなし」でしょうね。

頭無も首無も字の意味は同じでかつ、読みは「かしらなし」なんでしょう。
地名は漢字が先ではなく、呼び名に字を当てたので、
何通りかの字は違うとも読みが同じなのでしょう。

だから首でも頭でも、
そういう記載があってもおかしくないと思います。

例えば、酒門は坂戸だったりしたんですよね。見川も箕川だったし。

頭無とは、水源がはっきりしないところ、
水の流入がわからないところ、
という意味の言葉みたいですよ。

上流側が頭となるわけですから、上流がよくわからない場所、
水の流れのスタートが無い場所という意味なのでしょう。

那珂川の旧河道の上流側、
ゆるい斜面の付いた微高地(自然堤防)には水の出所がないけど
その周囲は水がたまるという地形を
治水地形分類図からも裏付け出来ている感はあります。

つづく



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by ta-tanchi | 2017-06-29 17:56 | 旧町名 | Comments(0)

赤沼牢屋敷跡

この碑が建っている辺りに、
赤沼牢屋敷がありました。
前出の旧桜川の河畔になります。

佐竹の時代にこの地に造成したといわれており、
明治2年に廃止されました。
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この地は、個人所有の土地で
昭和13年に慰霊碑を建立し。
昭和62年に「赤沼牢屋敷の由来記」が建てられました。
由来碑は老朽化で平成9年に再建されております。
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幕末における水戸藩内の天狗、諸生の争いによって
慶応元年(1865)天狗党の三木源八ほか19人は市内引き回しの上磔、
赤沼では天狗に属する20余人が斬首され、
敦賀で処刑された武田耕雲斎の家族たちも連座によって死刑となって、
妻とその子(9歳、3歳)や一族を斬首されたと言います。
諸生も同様に死罪になったものがいたそうです。

赤沼の由来は、この地に赤色の沼があったのでそう呼ばれたようです。
決して斬首の際に血が流れて赤沼と言われるようになったというようなことはありません。

笠原水道が引かれたのもこのあたりの渋水対策でもあります。


水戸市東台 2016年12月





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by ta-tanchi | 2017-06-08 06:53 | 記念碑、記念像系 | Comments(0)

釜神町の由縁が残っていた?

釜神町の話は以前に書きました。

戦前までは釜神町の由来となった竃神社が
この写真付近の宅地内にあったそうで、
疫病退散霊験をもち、幼児の病気をよく治すと言われ信仰されていたとのことです。
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現在は集合住宅となっております。

よく見ると・・・
祠が!!
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戦前の物ではないでしょうけど、
しっかりと守られているようですね。

水戸市備前町 2015年8月


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by ta-tanchi | 2016-09-18 11:32 | 旧町名 | Comments(0)

旧町名が残るもの

小ネタです。
水戸市の旧市街の町名は昭和40~50年代に現在のものに変更されました。

現在、下の写真のように、歴史を伝えるべく旧町名表示柱に記されております。
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旧町名を記しているのは石柱だけではありません。
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電柱はきっと新しく立て直していても、
表記されている呼び名はされたままです。
鷹匠、黒羽根・・・

皆さんも市内で電柱を見てみると意外な発見があるかもしれません。

水戸市南町 2012年6月


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by ta-tanchi | 2015-01-14 19:48 | 旧町名 | Comments(0)

銭谷稲荷神社 その2

その2では、稲荷神社以外のものを紹介します。

銭谷稲荷神社の銭谷という地名の由来は、
この神社の敷地でで寛永2年(1625年)に最初に寛永通宝銭を鋳造したことにより、
銭屋という地名になり、後に銭谷と記されるようになったからです。
旧町名はこの一帯を銭谷前といいます。

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ここで鋳造された銭は「水戸銭」と呼ばれていたそうで、
そこからきたのでしょうか?
水戸大黒銭とか書かれた石物がある。
大黒様と銭をかけた創作物でしょうか?

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銭を供養する銭塚。赤字が毒々しい感じもしないではないですね。

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銭谷盆唄発祥之地 の碑

銭谷盆唄
ハーア イヨウ
銭谷エ田圃からエ蛇が出たとても
銭谷エ通いはエやめられぬ
(ハア アリヤ アリヤ アリヤサ)

という唄です。
盆踊りこれでするのかな?

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銭座神社

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銭谷稲荷の拝殿と本殿の裏と横には
玉姫稲荷神社、天満宮(奥)、猿田彦神社、道祖神社、足尾神社、疱瘡守護神社など
末寺が並んでいます。

銭谷稲荷神社、
訪問してなんだかパワーもらえるような気がしたのは気のせいでしょうか?

水戸市浜田町 2014年8月



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by ta-tanchi | 2014-11-04 18:39 | 寺社 | Comments(0)

馬口労町 「若い力」像

末広町2丁目バス停の三角形の地形は、
かつての旧市街地の鍵型道路(枡形道路)の名残です。
この国道に沿って馬口労町と呼ばれておりました。

鍵型道路を解消して出来たスペースには
若い力 の銅像があります。
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これは、
新修道路開通記念で
昭和39年7月31日に建てられたものと台座に書かれております。
後で読もうと思って撮影したのですが、かなり読みにくいですので
細かい内容は記載しません。


今でこそやや狭めの片側2車線道路ですが、
戦災もなかったため、戦後も昭和30年ころまでは、
バスがすれ違うのも大変だった道幅しかありませんでした。

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アーモンドケーキで有名なシュールは、銅像、木の裏の白い建物です。

そして角地には常陽銀行末広町支店があります。
一昔は馬口労町支店だったとのことです。

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この銀行の壁面には、旧町名が書かれたタイルが埋め込まれております。

水戸市末広町 2014年9月


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by ta-tanchi | 2014-10-21 20:19 | 旧町名 | Comments(0)

鉄砲町

職業人からくる旧町名って思っていたより意外と少ないです。
その中の一つ、鉄砲町。

紀州堀沿いの西側の細長い地域だったので
現在は金町、五軒町、泉町の一部となっています。

そんな鉄砲町の名残として残っているのは、こちらの住宅。
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この住宅、一部補修しているようで人気を感じませんでした。

水戸市五軒町 2014年4月


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by ta-tanchi | 2014-10-11 20:36 | 旧町名 | Comments(0)

三光町

三光町は昭和9年に柵町の一部から新設された町名。
エリアは狭い。
今は空地(建設省常陸工事事務所跡??)となった表札を外した門柱が
犬の顔みたい(笑)
こんなゆるキャラいそうです。
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その横には建てられてから時間がたっている集合住宅があります。
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ここに旧町名を見ることが出来ます。
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ただ、「水戸の町名」を見るとここは三光町ではないよう書いてあるのだが…。

三光町の石碑は見つけられませんでした。
どうやらほかの集合住宅の樹の陰にあるようです。

水戸市城東  2014年7月





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by ta-tanchi | 2014-09-26 23:19 | 旧町名 | Comments(0)

桜町

水戸の旧町名シリーズ。
桜町は、もともと寺が多かったが、後に移転させられ武家屋敷になった地域で、
その時桜町という名前になったとのことです。
その桜町の名残は、現在ありません。後ろの敷地がそうでした。
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今は常陽銀行金町アパートですが、建て替えられる前は
常陽銀行桜町アパート。
私が小学生の時はまだそんな名前だったはずです。

水戸市金町 2014年6月


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by ta-tanchi | 2014-08-31 22:14 | 旧町名 | Comments(0)