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タグ:地獄極楽ウォーキング ( 17 ) タグの人気記事

下馬橋

下馬橋。
極楽橋の由来の伝説に由来する橋です。

昔、香取稲荷を前にして殿様の馬が急に進まなくなってしまい
下馬したというお話があるからです。
そして歩いてきたところ、極楽橋のあたりで馬に乗ることが出来、
「あ~,極楽,極楽」と言ったという話が極楽橋の由来に対しての下馬橋…。
ちょっと後出しじゃんけんぽいネーミングです。

まあ見てお通り、用水路に架けられた橋です。
車で走っていると、橋の感じは一切ありません。
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この用水路はいつの時代からあるのでしょうか?
用水路になる以前も小川があったのかもしれませんね。

お殿様が通ったとされる時代にどうだったかはわかりませんが、
まあこの辺で馬降りたということなのでしょう。


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橋から正面に香取稲荷神社があります。
こちらが参道になりますね。
まっすぐな道の突き当りに神社があるという光景はよく見ます。
後付け道路が横に伸びているという感じでね。

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反対側は田んぼです。
手前のガードレールが下馬橋になります。

ちなみに、この道は那珂川沿いを進む、今の県道174号小泉水戸線の旧道になります。
なのでこちらが本来の街道筋になります。

これにて地獄極楽ウォーキング、了?。


水戸市東大野 2016年8月

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by ta-tanchi | 2017-08-15 08:27 | 道路・鉄道 | Comments(0)

香取稲荷神社(東大野)

東大野の端の森に位置するのが香取稲荷です。
この香取稲荷は格式?があったようです。

極楽橋の由来の言い伝えでは、
昔,馬に乗っていた殿様の馬が神社を前に急に進まなくなってしまい
下馬し歩いてきたところ、極楽橋あたりで馬に乗ることが出来、
「あ~,極楽,極楽」と言ったとか…っていうことを記載しました。

先日、地元の方からお話をいただきました。
お殿様が乗馬していて、今回紹介する香取神社の敷地では
下馬しなくてはならなく、新川のあたりで乗馬できて
ああ極楽~という話でした。

ということで、極楽つながりの神社です。


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参道が長いです。
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うっそうと茂った森の中を行くように見えますが、
両サイドの木々の幅はそう広くありません。


赤い鳥居の奥にもうひと鳥居があります。
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さらに進んでいくと、鳥居があったであろう痕跡が残っております。
その先には、表情の違う狐の狛犬がたくさん並んでおります
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今は細長い敷地ですが、
昔は敷地がかなり広かったんでしょうね。

東大野をはじめとしたこの近くには香取神社がいくつかあります。
ウィキペディアを見ると香取神社の分布圏は
10世紀以降に開拓された、元は低湿地だった土地であると書かれております。
大変興味深いところです。

次で地獄極楽ウォーキングラストです。

水戸市東大野 2016年6月 






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by ta-tanchi | 2017-08-10 07:21 | 寺社 | Comments(0)

新川河口

極楽橋から新川を河口方向に進みます。

水神さんを過ぎて、個人宅の船着き場でしょうか?
桟橋に半分水没した船が係留されておりますが、
なんだかとっても良い雰囲気です。
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そして那珂川の堤防と水門、そして船溜。
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船溜まりの雰囲気もこれまた素敵です。
水戸にこんな場所があったのか!!というような風景が見られます。

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秋は鮭を採っているのは知っておりますが、
他の季節は何か採っているのでしょうか?

那珂川の河口から少し入っている場所ですが
この辺からも鮭は献上されたのでしょうか?
気になるところです。

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新川と那珂川の間の水門は、常時開いているようです。
船もこの隙間を通っていくのでしょうね。
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水戸市吉沼町 2016年6月






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by ta-tanchi | 2017-08-08 07:22 | 川・水路 | Comments(0)

極楽の水神さん

ツアーで回った地獄極楽ウォーキングからは外れた内容になりますが、
地元での極楽の由来の地までを追っていきます。

極楽橋から新川の河口に向かって歩いていくと、
橋から間もなくの場所に大きな木と鳥居があります。
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ちょうど見ていたら、犬の散歩をしている方がいたので声をかけてみました。

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この鳥居はどういうものなのか聞いてみると
水神様を祀っているそうです。

昔水害になって流されてきた子どもがこの木にしがみついて助かったんだそうです。
そんなことがあってここに小さい祠を建立したとか・・・

話をしている間、犬に足をペロペロなめられました(笑)。
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震災で鳥居が壊れたのでしょうか?
現在のものは塩ビ管のようです。

水戸市吉沼町 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-08-04 08:23 | 寺社 | Comments(0)

地獄橋の次は極楽橋

頭無~渋井町緑地(土壇場)、境橋(地獄橋)と新川(旧那珂川河川跡)を巡ってたどり着いところは極楽橋です。
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現在の県道に架かる極楽橋横に石碑があることは前回記載しました。

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県道は古くからこのルートになっており、
極楽橋は川に対して斜めに交差して直線的にわたっております。
石碑に「跡」とわざわざあるくらいですので、
今の橋とはおそらく違う場所にあったことでしょう。
昔の橋梁技術で行けば、川に対して斜めに橋を架けることなく、
川に対して直角に交差するように橋を架けたことでしょう。

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この道の旧橋はこの辺りで渡っていたと思われます。
橋の向こう側の道は、
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県道横の斜めに進む小径がきっと旧道でしょう。
小学校が出来る前は直線的に伸びていたと思われ、
かつ、小学校裏にある鹿島稲荷神社辺りで県道の旧道に交わっていたと勝手に推測しております。
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橋の手前側、2枚上の写真の反対側です。
この道路がおそらく県道の旧道だと思われます。これも勝手な推測です。

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極楽の地名は16世紀には名前があった事は前出ですが、
たまたま極楽橋と名付けたんでは?という、
私の見解です(笑)。
今でも、地名とはかけ離れた名前の橋ってありますよね・・・

縁起のいい名前つけただけ・・・。
橋に正式な名称なんて無くて、お坊さんが作ったとかで、
そう呼んでいたらその名前になったってところじゃないかと・・・
そしてその周辺の地名も、字名で極楽となった・・・。

説明になっているでしょうか?


ま、地域の言い伝えでは、
前も書きましたが、
極楽の地名の由来は、
昔,馬に乗っていた殿様の馬がz神社を前に急に進まなくなってしまい下馬し歩いてきたところ、
このあたりで馬に乗ることが出来、「あ~,極楽,極楽」と言ったとか…っていうことからのようです。

ここでツアーで行った地獄極楽ウォーキングは終わってしまいました。
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が、
俗説による極楽の由来の先へ
まだ続きます。


水戸市吉沼町 東大野 2016年6月7月









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by ta-tanchi | 2017-08-02 07:50 | 旧町名 | Comments(2)

吉沼磔場は本当にここなのか?

吉沼磔場は本当にここなのか?
と書いておきながら、
そもそも磔場があったのかは知りません。
「水府異聞」に書かれている言い伝えしか情報を得れるものがありません。

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水府異聞読んで、ああそうなんだ~、ここ磔場なのねって思っていて訪問したんですが、
行ってみるとなんだか違和感・・・・

わざわざ土壇場と呼ばれた「死者を埋める土地」があって、
磔場があったならば、わざわざ橋を渡ってそのような施設を作るのかな?


江戸時代、橋といっても街道筋でもない橋ですから粗末な橋でしょう?
川で対峙したものをわざわざ作るものなのでしょうか?

そもそも、江戸時代の橋の位置が違ったのであればここって違うんじゃないの?

渋井町緑地石碑に磔場のことは書かれておりませんので
磔場が本当にあったのかわかりません。
だから無かったのかもです。

この地のことを考えるとますます違和感が増していきます。


行ってみてわかったのですが、そもそも客土されているので
田んぼに利用できない土地でタダ放置されているだけと思われます。
そう考えるとこの土地、磔場ではない。

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河川改修された新川。ということでさらに次回に続きまず。


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水戸市渋井町 吉沼町 西大野 2015年9月 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-07-26 07:12 | 現存しないもの | Comments(0)

地獄橋と呼ばれていた 境橋

渋井町緑地そばには境橋があります。
手前側左が渋井町、見切れている道路の右側が西大野、
対岸が吉沼町となってます。まさしく町堺!
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またまた「水府異聞」からになりますが、
地獄橋と呼ばれた新川に架かる「境橋」とあります。

「徳川時代、罪人の死者、および無籍の死者を葬りし所にて、
葬り方が粗末なる故、時々露出し、犬の引きズリ出す等の事あり、
惨状甚だしく、見る者戦慄して、地獄橋と名づくに至る。
明治維新後は橋の位置も変え、
渋井、吉沼間に架せしを以って境橋と称するに至れり。」

と、昭和2年刊行の東茨城郡誌に記されているとのことです。

ってことは、この境橋のある場所じゃないってことですよね?
どこにあったんだろう地獄橋・・・。


江戸時代なんて橋の名前なんて俗称でしょうからね。

新川の下流には、こんな地獄橋ができるずっとずっと前から極楽橋
が存在していますが、
それに対する対義語的な意味合いはなかったでしょう。

一応この辺りを、地獄極楽ウォーキングのなかの、
渋井町緑地をはじめ、地獄のエリアとしてあります。

「水府異聞」によると、そして橋を渡ったところにある茂みが
磔場跡だそうです。

江戸時代の橋の位置が違ったのであればこれは当てはまることなのかな?

なんだか頭の中モヤモヤしてきました。

ってことでその磔上跡は本物か?につづく

水戸市渋井町 吉沼町 2016年6月







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by ta-tanchi | 2017-07-23 06:02 | 道路・鉄道 | Comments(0)

かつて「土壇場」と呼ばれていた渋井町緑地 


渋井町の末端部、新川沿いに整備された渋井町緑地です。
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碑があるのですが、その裏側に碑文があります。
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渋井町緑地碑

この地は 渋井町の田園地帯の一角にあり
自然環境が豊かに残されているところである
年々歳々自然環境が失われているなか
地域からこの自然環境を守り
育てる意識のもとに 公園としての要望があり
その熱意に応え水戸市が整備したものである

また この地は 幕末における藩内の争乱の際に
処刑された人々の遺骸が運ばれ 埋葬されたと言われている
そのため 近在の人々は この地を「土壇場」と呼び
新川の淀みを「冥加淀」と言い伝えている
新川改修工事により当時の淀みは残っていない
この緑地公園が地域の人々に愛着を持って
静かに憩える公園として末長く利用されることを願っている

平成四年三月吉日 水戸市建立

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碑文の前は広場です。

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その広場の上流側にはゲートボール場っぽい広場と
数本の植栽があり、結構広いです。

「水府異聞」という本(水戸市の図書館ならどこにでも置いてあります)
を読んでこの地のことを知り、
今回訪問前にも訪問してました。

碑文を読むと、
この公園となったところに死者を葬ったんだな~と
何とも言えない複雑な気持ちになります。

が、
赤沼~頭無~渋井町緑地(土壇場)を歩いてきた道、新川について後で考察すると
訪問後に碑に書かれている一文、
新川改修工事により当時の淀みは残っていない)が引っかかります。

どういうこと? 
 
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この写真は渋井町緑地を新川の対岸から見たものです。
木の茂みが2つ上の写真の植栽です。
河川改修されてまっすぐ流れている新川。

改修される前の新川ってまっすぐ流れていたの????
無駄に広い公園は、もともと土壇場といわれたすべての面積なの????

と疑問点が・・・。

なんだか公園の縁が変な形しているなあ~と思うところがあり撮影してました。




変にカーブしてますよね~

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このまっすぐじゃない隣地との境は、
河川改修前の川の流れの痕跡ではないのでしょうか?

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公園の末端に行くと不自然な三角形の使われていない土地があります。

つづく

水戸市渋井町 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-07-20 07:17 | 公園 | Comments(0)

鹿島神社(渋井町)と新川

頭無地蔵尊、那珂川旧河道を見た後は、渋井の微高地を進みます。
そして鹿島神社へ。

その鹿島神社は新川沿いにあります。

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鳥居がありますが、震災で被災して新しい鳥居が建てられました。
 元の鳥居は「井坂直幹」によって作られました。
井坂直幹といってピンとくる水戸の人はどれだけいるのでしょうか?
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壊れた鳥居がオブジェのように並び、そこに井坂直幹の説明が載っております。
このあたりの国道51位号線に近いところで生まれ、
秋田県能代市で木材産業に機械製材を採用し、
秋田の木材生産に多大なる富をもたらした人物です。

ちなみに、能代市には、井坂街区公園があり、
そこには、井坂直幹に関する資料を展示した井坂記念館があります。
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その鳥居の残骸の横には、
やわらかい石でできている手水なのかな?風化が進んでおります。
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この鹿島神社は、元は鹿島明神と羽黒明神があったのを、
光圀が今の場所に合祀したようです。
その名残で、羽黒神社の信仰として口や歯の病で詣でる人が多かったようです。
また鉄漿(おはぐろ)と羽黒つながりで婦人の信仰も厚く、
安産祈願も多かったとのことです。
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神社は、ちょっと土地の高いところに建てられているようで、
神社の裏は自然堤防な感じが色濃いです。
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備前堀は千波湖の水位を下げるために1610年に着工された放水路ですが、
機能的には十分ではなくしばしば氾濫しました。
そのためにさらに放水路として、1701年に新川は開削されました。
ただ開削といっても、水の流れが真直ぐじゃないので、
自然の流れを多く利用したと思われます。
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新川の上流側は備前堀からこの辺りまで河川を開削、新田開発したようにも感じます。
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この先は旧河道の低地を利用して新川は流れております。

水戸市渋井町 2016年6月




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by ta-tanchi | 2017-07-10 07:20 | 寺社 | Comments(0)

渋井町の地名考察

国道6号線バイパス、茨城交通の浜田営業所そばの浜田十字路の東側、
福徳弁財天の参道の東側は渋井町です。

今回はこの「渋井」の地名について考えていきます。

鎌倉期には渋江という名はあったようです。
この時は信田尻村(信太尻村?)内の地名だそうです。
佐竹時代には渋井村です。

江を示すのは入江のことですね。
海や湖が陸地に入り込んだ地形のことです。
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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。

上の図のちょうど真ん中の黄色の部分から
その下の旧河道とその周りの自然堤防の付近が渋井町です。

那珂川の旧河道域が入江となって湿地になっていたと考えます。

字のとおり、渋井を渋った水が井戸から出ている場所という解釈も有りますが、
「え」がなまって「い」になったと考えるのも筋が通っていませんか?
地形を読み取って書いているだけですので本当のところはどうなんでしょう?

ちなみに吉沼町は
ちょうどUの字になっている旧河道と那珂川の間の地名を言います。

名前の通り、大干ばつでも枯れることのない沼があり、
ヨシ(アシ)が多いことによると伝えられているようです。

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那珂川の旧河道を見ると、那珂台地と東茨城台地の間は堆積平野です。
那珂川の氾濫の繰り返しで、微高地である自然堤防と、
後背湿地が入り乱れております。





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by ta-tanchi | 2017-07-08 07:01 | 旧町名 | Comments(0)