みとぶら

mitobura.exblog.jp
ブログトップ

下馬橋

下馬橋。
極楽橋の由来の伝説に由来する橋です。

昔、香取稲荷を前にして殿様の馬が急に進まなくなってしまい
下馬したというお話があるからです。
そして歩いてきたところ、極楽橋のあたりで馬に乗ることが出来、
「あ~,極楽,極楽」と言ったという話が極楽橋の由来に対しての下馬橋…。
ちょっと後出しじゃんけんぽいネーミングです。

まあ見てお通り、用水路に架けられた橋です。
車で走っていると、橋の感じは一切ありません。
b0330744_23422935.jpg
この用水路はいつの時代からあるのでしょうか?
用水路になる以前も小川があったのかもしれませんね。

お殿様が通ったとされる時代にどうだったかはわかりませんが、
まあこの辺で馬降りたということなのでしょう。


b0330744_23423004.jpg
橋から正面に香取稲荷神社があります。
こちらが参道になりますね。
まっすぐな道の突き当りに神社があるという光景はよく見ます。
後付け道路が横に伸びているという感じでね。

b0330744_23422920.jpg
反対側は田んぼです。
手前のガードレールが下馬橋になります。

ちなみに、この道は那珂川沿いを進む、今の県道174号小泉水戸線の旧道になります。
なのでこちらが本来の街道筋になります。

これにて地獄極楽ウォーキング、了?。


水戸市東大野 2016年8月

[PR]
# by ta-tanchi | 2017-08-15 08:27 | 道路・鉄道 | Comments(0)

香取稲荷神社(東大野)

東大野の端の森に位置するのが香取稲荷です。
この香取稲荷は格式?があったようです。

極楽橋の由来の言い伝えでは、
昔,馬に乗っていた殿様の馬が神社を前に急に進まなくなってしまい
下馬し歩いてきたところ、極楽橋あたりで馬に乗ることが出来、
「あ~,極楽,極楽」と言ったとか…っていうことを記載しました。

先日、地元の方からお話をいただきました。
お殿様が乗馬していて、今回紹介する香取神社の敷地では
下馬しなくてはならなく、新川のあたりで乗馬できて
ああ極楽~という話でした。

ということで、極楽つながりの神社です。


b0330744_23490320.jpg
参道が長いです。
b0330744_23490336.jpg
うっそうと茂った森の中を行くように見えますが、
両サイドの木々の幅はそう広くありません。


赤い鳥居の奥にもうひと鳥居があります。
b0330744_23490304.jpg

さらに進んでいくと、鳥居があったであろう痕跡が残っております。
その先には、表情の違う狐の狛犬がたくさん並んでおります
b0330744_23490455.jpg
今は細長い敷地ですが、
昔は敷地がかなり広かったんでしょうね。

東大野をはじめとしたこの近くには香取神社がいくつかあります。
ウィキペディアを見ると香取神社の分布圏は
10世紀以降に開拓された、元は低湿地だった土地であると書かれております。
大変興味深いところです。

次で地獄極楽ウォーキングラストです。

水戸市東大野 2016年6月 






[PR]
# by ta-tanchi | 2017-08-10 07:21 | 寺社 | Comments(0)

新川河口

極楽橋から新川を河口方向に進みます。

水神さんを過ぎて、個人宅の船着き場でしょうか?
桟橋に半分水没した船が係留されておりますが、
なんだかとっても良い雰囲気です。
b0330744_23514882.jpg


そして那珂川の堤防と水門、そして船溜。
b0330744_23514824.jpg

船溜まりの雰囲気もこれまた素敵です。
水戸にこんな場所があったのか!!というような風景が見られます。

b0330744_23514810.jpg

秋は鮭を採っているのは知っておりますが、
他の季節は何か採っているのでしょうか?

那珂川の河口から少し入っている場所ですが
この辺からも鮭は献上されたのでしょうか?
気になるところです。

b0330744_23511804.jpg

新川と那珂川の間の水門は、常時開いているようです。
船もこの隙間を通っていくのでしょうね。
b0330744_23511816.jpg

水戸市吉沼町 2016年6月






[PR]
# by ta-tanchi | 2017-08-08 07:22 | 川・水路 | Comments(0)

極楽の水神さん

ツアーで回った地獄極楽ウォーキングからは外れた内容になりますが、
地元での極楽の由来の地までを追っていきます。

極楽橋から新川の河口に向かって歩いていくと、
橋から間もなくの場所に大きな木と鳥居があります。
b0330744_23521883.jpg
ちょうど見ていたら、犬の散歩をしている方がいたので声をかけてみました。

b0330744_23521802.jpg
この鳥居はどういうものなのか聞いてみると
水神様を祀っているそうです。

昔水害になって流されてきた子どもがこの木にしがみついて助かったんだそうです。
そんなことがあってここに小さい祠を建立したとか・・・

話をしている間、犬に足をペロペロなめられました(笑)。
b0330744_23521964.jpg
震災で鳥居が壊れたのでしょうか?
現在のものは塩ビ管のようです。

水戸市吉沼町 2016年6月




[PR]
# by ta-tanchi | 2017-08-04 08:23 | 寺社 | Comments(0)

地獄橋の次は極楽橋

頭無~渋井町緑地(土壇場)、境橋(地獄橋)と新川(旧那珂川河川跡)を巡ってたどり着いところは極楽橋です。
b0330744_22594894.jpg
現在の県道に架かる極楽橋横に石碑があることは前回記載しました。

b0330744_23042124.jpg
県道は古くからこのルートになっており、
極楽橋は川に対して斜めに交差して直線的にわたっております。
石碑に「跡」とわざわざあるくらいですので、
今の橋とはおそらく違う場所にあったことでしょう。
昔の橋梁技術で行けば、川に対して斜めに橋を架けることなく、
川に対して直角に交差するように橋を架けたことでしょう。

b0330744_23040470.jpg
この道の旧橋はこの辺りで渡っていたと思われます。
橋の向こう側の道は、
b0330744_23034011.jpg
県道横の斜めに進む小径がきっと旧道でしょう。
小学校が出来る前は直線的に伸びていたと思われ、
かつ、小学校裏にある鹿島稲荷神社辺りで県道の旧道に交わっていたと勝手に推測しております。
b0330744_23040063.jpg
橋の手前側、2枚上の写真の反対側です。
この道路がおそらく県道の旧道だと思われます。これも勝手な推測です。

b0330744_23033540.jpg
極楽の地名は16世紀には名前があった事は前出ですが、
たまたま極楽橋と名付けたんでは?という、
私の見解です(笑)。
今でも、地名とはかけ離れた名前の橋ってありますよね・・・

縁起のいい名前つけただけ・・・。
橋に正式な名称なんて無くて、お坊さんが作ったとかで、
そう呼んでいたらその名前になったってところじゃないかと・・・
そしてその周辺の地名も、字名で極楽となった・・・。

説明になっているでしょうか?


ま、地域の言い伝えでは、
前も書きましたが、
極楽の地名の由来は、
昔,馬に乗っていた殿様の馬がz神社を前に急に進まなくなってしまい下馬し歩いてきたところ、
このあたりで馬に乗ることが出来、「あ~,極楽,極楽」と言ったとか…っていうことからのようです。

ここでツアーで行った地獄極楽ウォーキングは終わってしまいました。
b0330744_23010833.jpg
が、
俗説による極楽の由来の先へ
まだ続きます。


水戸市吉沼町 東大野 2016年6月7月









[PR]
# by ta-tanchi | 2017-08-02 07:50 | 旧町名 | Comments(2)

土壇場と冥加淀と吉沼磔場を考察する

渋井町緑地と境橋(地獄橋)と吉沼磔場といわれている場所を
中心とした空中写真を用い考察していきます。

b0330744_04153436.jpg
昭和27年

新川の河川改修が行われる前の状態です。
河が蛇行して現在とは大きく違います。

中心辺りにあるのが境橋。
この橋が架かる前はどこに橋があったのかな?

河川改修で消えた冥加淀は、
橋の左側の木が茂っているあたりなのかな?

b0330744_03555568.jpg
昭和49年

河川改修が行われ、川も道も農地も大きく変化してしまい、
改修前の面影がほとんどなくなってしまいました。

境橋の左側は川の蛇行があったあたりが荒地のようになっております。

橋の右側も大きく変わり、旧河道は荒地と池になっております。
境橋北側の農地も区画整理がされ、道路もまっすぐになってます。

ということで、河川改修並びに区画整理にて、
「水府異聞」で出てくる吉沼磔場跡の荒地が完成するわけです。

そうなると、前出の吉沼磔場とされる場所って、
違和感ありません?

あったとすれば、そこじゃない・・・。

b0330744_23230564.jpg
河川改修前の新川跡は空き地の草叢と青いポンプ小屋の間あたりに続いていたようです。
b0330744_23321520.jpg

b0330744_03573967.jpg
直近の平成24年では、ようやく渋井町緑地が出来てます。

昭和49年の写真と比べると、
緑地の石碑がある辺りは耕作地からの転換部分ですね。
緑地が土壇場だとしても、河川改修で埋めた土地もあるわけですから
土壇場は今の緑地からするとかなり小さいものだったのでしょう。

なので今の境橋のそばに土壇場は存在していたわけではなく、
橋からやや奥まった場所だった事が伺えます。
渋井町緑地のちょうどゲートボール場として整備されたあたりなのかな?

橋の位置は現在と違ったというのならば橋の位置も分かりません。
区画整理されてわからないけど、土壇場に近い橋の位置となると、
あさひ幼稚園の裏の昭和27年の空中写真でも写っている
小径の先にでも架かっていたのかな?

まあそんな考察。

そして最後に・・・
土壇場って首切りのための首を載せる盛土ところという意味を知っていると
「土壇場」って言葉にしたくないですよね。
いい言葉だと思わないわけです。
先日の高校野球決勝戦でもアナウンサーの口から
「土壇場で~」フレーズが幾度となく使われていて
残念というかなんというか悲しいというか・・・。
勝負事なら土俵際とか違う言葉使ってほしい・・・。










[PR]
# by ta-tanchi | 2017-07-28 17:51 | 街秘境 | Comments(2)

吉沼磔場は本当にここなのか?

吉沼磔場は本当にここなのか?
と書いておきながら、
そもそも磔場があったのかは知りません。
「水府異聞」に書かれている言い伝えしか情報を得れるものがありません。

b0330744_23285229.jpg
水府異聞読んで、ああそうなんだ~、ここ磔場なのねって思っていて訪問したんですが、
行ってみるとなんだか違和感・・・・

わざわざ土壇場と呼ばれた「死者を埋める土地」があって、
磔場があったならば、わざわざ橋を渡ってそのような施設を作るのかな?


江戸時代、橋といっても街道筋でもない橋ですから粗末な橋でしょう?
川で対峙したものをわざわざ作るものなのでしょうか?

そもそも、江戸時代の橋の位置が違ったのであればここって違うんじゃないの?

渋井町緑地石碑に磔場のことは書かれておりませんので
磔場が本当にあったのかわかりません。
だから無かったのかもです。

この地のことを考えるとますます違和感が増していきます。


行ってみてわかったのですが、そもそも客土されているので
田んぼに利用できない土地でタダ放置されているだけと思われます。
そう考えるとこの土地、磔場ではない。

b0330744_23230564.jpg
河川改修された新川。ということでさらに次回に続きまず。


b0330744_23285364.jpg

水戸市渋井町 吉沼町 西大野 2015年9月 2016年6月




[PR]
# by ta-tanchi | 2017-07-26 07:12 | 現存しないもの | Comments(0)