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渋井町の地名考察

国道6号線バイパス、茨城交通の浜田営業所そばの浜田十字路の東側、
福徳弁財天の参道の東側は渋井町です。

今回はこの「渋井」の地名について考えていきます。

鎌倉期には渋江という名はあったようです。
この時は信田尻村(信太尻村?)内の地名だそうです。
佐竹時代には渋井村です。

江を示すのは入江のことですね。
海や湖が陸地に入り込んだ地形のことです。
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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。

上の図のちょうど真ん中の黄色の部分から
その下の旧河道とその周りの自然堤防の付近が渋井町です。

那珂川の旧河道域が入江となって湿地になっていたと考えます。

字のとおり、渋井を渋った水が井戸から出ている場所という解釈も有りますが、
「え」がなまって「い」になったと考えるのも筋が通っていませんか?
地形を読み取って書いているだけですので本当のところはどうなんでしょう?

ちなみに吉沼町は
ちょうどUの字になっている旧河道と那珂川の間の地名を言います。

名前の通り、大干ばつでも枯れることのない沼があり、
ヨシ(アシ)が多いことによると伝えられているようです。

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那珂川の旧河道を見ると、那珂台地と東茨城台地の間は堆積平野です。
那珂川の氾濫の繰り返しで、微高地である自然堤防と、
後背湿地が入り乱れております。





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# by ta-tanchi | 2017-07-08 07:01 | 旧町名 | Comments(0)

那珂川旧河道


福徳弁財天の裏側、頭無地蔵尊前、大洗鹿島線下の道を進んでいくと、
一段低地になります。
車に乗ってしまうと、
微妙な地形の変化にはにはかなり意識していないと気付かないですね。
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ここが、自然堤防と旧河道の境となります。
段差の下から上の写真の左側を撮影したものです。
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水田になる前は、
吉沼町の語源ともなったアシの生えた沼地だったのでしょう。
いつぐらいに水田になったのでしょうか?
新田開発は江戸時代なのでしょうけど、新川の整備の頃なのかな?


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少し先に行って新川沿いも自然堤防と旧河道の境がわかります。
民家があるのが微高地となります。

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渋井橋から旧河道の水の流れの名残の新川とその奥の自然堤防、
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対岸は水田の奥の微高地は畑作。低地と微高地の差ですね。
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旧河道の湾曲の強い部分は、
教科書通りというのでしょうか?自然堤防が高くなってます。


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反対側の東水戸駅付近は微高地です。


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昭和23年の空中写真です。
蛇行した河川跡がよくわかりますね。
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前出の治水地形分類図2007~2014年版と、
上記の空中写真を見比べると面白く感じませんか?

水戸市渋井町吉沼町西大野 2016年6月



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# by ta-tanchi | 2017-07-04 08:19 | 川・水路 | Comments(0)

頭無と首無 の地名考察

頭無は、渋井町の字名です。
頭無は、「あたまなし」ではなく「かしらなし」です。
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1/5万 昭和22年5月30日発行「那珂湊」
です。
現在の地形図を見ても(国土地理院のページから見ることができます
頭無の字名は記載されております。

ちなみに下道や、極楽は名前がなくなってます。

「頭無」という地名がどのあたりかわかる人って
少ないのではないでしょうか?。

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治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。
濃い青の横線はが旧河道です。
薄い緑が氾濫原野、濃い緑が氾濫後背湿地、
黄色は微高地(自然堤防)です。


頭無と首無を考察してみましょう。

「首なし」地蔵と本に記載されているのは 網代茂著、水府異聞
「くびなし」と読むわけでしょうか?
「しぶい」という本に小字名「首なし」と書かれておりますが
これも読みは「かしらなし」でしょうね。

頭無も首無も字の意味は同じでかつ、読みは「かしらなし」なんでしょう。
地名は漢字が先ではなく、呼び名に字を当てたので、
何通りかの字は違うとも読みが同じなのでしょう。

だから首でも頭でも、
そういう記載があってもおかしくないと思います。

例えば、酒門は坂戸だったりしたんですよね。見川も箕川だったし。

頭無とは、水源がはっきりしないところ、
水の流入がわからないところ、
という意味の言葉みたいですよ。

上流側が頭となるわけですから、上流がよくわからない場所、
水の流れのスタートが無い場所という意味なのでしょう。

那珂川の旧河道の上流側、
ゆるい斜面の付いた微高地(自然堤防)には水の出所がないけど
その周囲は水がたまるという地形を
治水地形分類図からも裏付け出来ている感はあります。

つづく



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# by ta-tanchi | 2017-06-29 17:56 | 旧町名 | Comments(0)

頭無地蔵尊(首無地蔵尊)

最初に述べておきますが、
頭無地蔵尊、首無地蔵尊と
呼ばれている地蔵は
ここにある地蔵の頭首がないから
そう呼ばれているわけではありません。

網代茂著、水府異聞を読むと、
赤沼牢屋屋敷で斬首された遺体の慰霊に首なし地蔵
(地蔵に首がない理由の記述はないのですが)・・・
とあり、

赤沼の牢屋敷のから始まり、
頭無(首無)、地獄橋、までのことが書かれております。

そして、地獄橋の先にある極楽橋に至るまで、
何かストーリーがあって
つながりがあるのかなあ~と・・・。

赤沼の赤から連想される言葉は血の赤、
頭無から連想される言葉は斬首、
地獄橋は土壇場と呼ばれ処刑者を埋めた土地、
極楽橋の地獄との対義語

暗黒的ワードだらけでこれらに関連があるのか?
そんなことで、前出の福徳弁財天からこの地を通り、
最終的に新川の河口まで歩いてみました。
そんなわけで地獄極楽ウォーキングなんです。

そして歩いた後、考察してみましたが、
斬首と頭無は全く関係がありませんでした。
そりゃそうですよね。

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この首のない地蔵があるから地名が頭無(首無)になったわけじゃないです。

地名が存在したところに、たまたま頭首がなくなってしまった地蔵があった。
それだけのことです。

首がない罪人が通ったから頭無(首無)という地名になったというのは
無理がありすぎです。

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この地域の女人講がありました。今でもあるのかもしれません。
毎月19日夜になると念仏を唱えるという風習があったようです。
その念仏の中の一節に
女人泰産心安穏 心根具足意自在 寿命長達願成就
南無頭無延命子安地蔵尊
があります。

そういう信仰の対象であったわけですよ。

それが首が現在存在しないが故、斬首された体を想像するのは
ストーリーとしては面白いでしょうけど、
違うますよね?。

わざわざ地蔵さんの頭首を壊して奉るなんて
趣味悪いし、罰当たりじゃないでしょうか?

私は結構水戸の中をぶらぶらしていますが、
頭首のない地蔵はここだけではないです・・・。

ではなぜ頭首がないのか?


ここにある地蔵さんを見ましたが、石の性質でしょうか?
かなり風化が激しいですね。
砂岩でしょうか?

東日本大震災で被災した地蔵さんたち、
倒れて結構頭折れてました。

風化や、何か地震等で倒れたりして首がもげた。

また、これだけ首がない地蔵が集められていることから、
廃仏毀釈も考えられますね。

と考えるのが妥当だと思います。

と書きつつ、地名と全く関係なく首がないだけで
たまたま地名と相まって呼ばれていれば話は別ですけど・・・

次回は、頭無の地名を考えます。

水戸市渋井町 2016年6月



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# by ta-tanchi | 2017-06-26 18:01 | 石仏、道標 | Comments(0)

渋井町の墓地跡

福徳弁財天の裏側は、共同墓地が広がっておりましたが、
昭和48年に大洗鹿島線建設によって消滅しました。
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弁財天裏の線路下の区画整理で余ったであろう三角形の土地に、
その墓地の名残があります。
(ここがもともと墓地であったかはわかりません)

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三角形の土地には、頭無(首無)地蔵の小さいお堂が建てられ、
その周りに墓地にあった墓石が置かれております。
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次回は、この赤いお堂の頭無(首無)地蔵の話につづきます。

水戸市渋井町 2016年6月



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# by ta-tanchi | 2017-06-24 06:56 | 街秘境 | Comments(0)

福徳弁財天

湊街道(県道174号小泉水戸線)、
茨城交通の浜田営業所横の国道6号線を越えた1本目の路地の突き当りに、
福徳弁財天があります。
福に徳がある弁天なんてものすごく縁起がいい名前ですよね!!。

別名 地名から頭無(かしらなし)弁天 とも呼ばれてもいるようです。
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車では幾度となく入口前を走っているときには、気が付きませんでした。

写真の道は弁財天までの参道です。
昭和20年代は、この参道の両脇には桜が植わっていたそうです。

進んでいくと福徳大弁財天の石碑があります。
手前は馬頭観音とかです。
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弁財天のご利益は、商売繁盛、財福、子孫繁栄、芸術などがありますね。
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鳥居横には石仏がまとめられております。
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中には女人講中の石碑もあります。


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鳥居をくぐると橋があり、お堂があります。

境内は森のようにも見えますが、
かつては暗くなるほどの森となっていて、
池は深くて豊かな水をたたえていたそうです。
現在は水もなく空堀のようになってます。
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お堂は近年立て直されております。

福徳弁財天の由来ですが、
城東蓮池にあった弁財天の寺社が
矢田の羅漢寺へ移転?
羅漢寺が廃寺になって渋井のこの地へ来た?
という説と、

教育委員会の石碑に書かれている説である、

浮島延忠の夢枕に美女が現れ、鹿島明神に参詣するようお告げがあり、
行くと、弁財天像があったので頂いて寺を建立したという説があります。


浮島太夫延忠にまつわる伝説として、
平将門の子である、平将国が
信田郡浮島に落ち延びた伝説と関係しているのかもしれません。

上手くまとめられないのですが、平家の伝説はいろいろなところにあります。

この福徳弁財天がある渋井は、
昔は信田尻村と呼ばれておりました。

信田郡の浮島という地名、信田尻村の浮島延忠の話、
信田と浮島というキーワードが重なります。

つながっているかもしれませんよね。
歴史ロマンのお話です。

また、以前は弁財天の裏には墓地がありました。
その墓地には正歴寺の僧侶の墓石もあったので
弁財天の地には正歴寺というのがあったかもということのようです。
その中に弁財天があったということも考えられますね。
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お堂を囲う池に水がたまることはもうないのでしょうか?

弁財天の裏側の話につづく

水戸市渋井町 2016年6月


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# by ta-tanchi | 2017-06-21 08:03 | 寺社 | Comments(0)

私設展望台

この季節、保和苑の紫陽花がきれいですね。
その保和苑からほど近い場所に、私設展望台があります。
しかも「ご自由にどうぞ」なんです。
太っ腹です!!。

この存在を知ったのは、水戸芸術館のイベント、
街中企画ReMITO100のワークショップの時でした。
場所がよくわからなかったのですが、なんとなく進んで到着しました。

路地裏に展望台という小さな案内板があり、
そのの最奥地が展望台になります。
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この季節は紫陽花がきれいですね。

早速向かってみます。
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結構急な階段の先に展望台です。

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展望台角にあるライトは、夜光るのでしょうか?

パノラマ合成の写真ですが、
PCだと小さくなってしまうでしょうか?
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那珂川の清流とその向こうの台地のエレベーター塔などを見ることができます。

しばし眺めを堪能して、展望台の階段を降ります。
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階段というよりは梯子ですかね。
ちょっと怖いです。
高いところ怖いな~という方でも、
下の展望するスペースでも十分堪能できますよ( ^^) 。

そして、もう1つ。
男の隠れ家、五角堂 も訪問してみます。
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ご自由にお入りくださいでは、
隠れ家とは言えないのでは?という思いで進みます。

が、隠れ家でした!!
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自分で作られた五角形の建物です。
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ソファーに座って
景色を眺めたり、読書や音楽を聴いて過ごしたい空間ですね。

男のロマンってやつを実行したモノです。
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素敵です。

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水戸空襲で落ちてきた焼夷弾の頭部がさりげなく置いてありました。
平和な世の中が末永く続きますように。

ちなみに、2017年4月放送の「ぶらり途中下車の旅」でも紹介されてました。

水戸市松本町 2016年6月





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# by ta-tanchi | 2017-06-19 01:32 | 街秘境 | Comments(0)