みとぶら

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水府橋へ急げ!!

那珂川に架かる水府橋。
今でいえば旧水府橋。
歩道の付いた昭和7年に出来た立派な橋です。
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それが今、
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取り壊しの最中です。
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橋の真ん中のトラスを残すのみとなってしまいました。

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もうすぐこの橋の雄姿も見られなくなってしまいます。

残念ですね。もう見納めです。


いずれ過去に撮影したものを載せていきたいと思います。

水戸市 北見、三の丸、水府  2015年4月末、トップは2013年1月


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by ta-tanchi | 2015-04-30 07:35 | 道路・鉄道 | Comments(0)

別雷皇太神(雷神さん)

別雷皇太神(雷神さん)は、
田見小路(現在の大町のNTTビル付近)にあったようですが、
佐竹時代に、現在リリーの専門学校がある藤沢小路(南町)に移転しました。


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そして、徳川時代に現在の元山町の地に移りました。
ちなみに現在雷神さんの隣の神応寺も一緒にずっと移転しております。

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別雷皇太神
別は若々しく猛々しい、の意味です。
雷除け、電気工事、発電業安全、五穀豊穣、身体堅固の神様です。
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拝殿横には、「雷神砂」と呼ばれる盛砂があります。

地方の古くからの言い伝えに、体の弱い子供さんや、お年寄りの方々は
「雷神さんの庭を踏んでくるとよい」と言われ、その後
「体が丈夫になった」とか「今年で九十歳になります」といった話をききます。
盛砂(もうすな)は、このような御神力をより一層強く
広く発するように設け整えたものです。

とのことです。


そして以前紹介した電気神社もここの摂社です。今回は写真なし。

そのよこにもうひとつあるのは淡島神社。
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えんむすび、婦人病平癒、手芸上達身体安体の神様
2月8日には針供養を行います。

その淡島神社の裏の
神応寺との間の道路に面して養蚕神社の石碑だけありますが社はありません。
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この辺りでも養蚕がおこなわれていたのでしょうか?。

水戸市元山町、一枚目は南町 2014年10月


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by ta-tanchi | 2015-04-28 12:39 | 寺社 | Comments(0)

朱舜水(しゅしゅんすい)像

朱舜水(しゅしゅんすい)1600年~1682年明の儒学者。
明の時代に浙江省に生まれ、儒学を学び将来を嘱望されてましたが、
明が滅ぼされ明朝を回復しようと長崎へ亡命してました。
水戸藩第2代藩主徳川光圀公が小宅生順を介して
舜水を賓師として江戸へ招きました。
舜水の学問は,空論を排し実学を尊び,
その学識は、祭器、養蚕、種痘の処方に及びました。
中でも正式の儒学、釈典の礼法を伝えて、藩士を教育しました。
実用的な学風が水戸藩に起こったのはこの舜水の影響といえます。

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その銅像は市道に面した北見町NTT東日本茨城支店のビルの一角にあります。
ちなみにこの道は国道118号と勘違いされやすいです。
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この近くに、舜水祠堂跡があったのでここに像が建っているのですが、
ここで舜水祠堂講釈と呼ばれる教育が行われ、
藩校の弘道館が出来るまで、彰考館と並び藩の重要な教育機関でした。

ちなみに水戸のオフィシャルな
「水戸の銅像めぐりマップ」
では、道路の表記並びに場所が間違っておりますので
参考にする方は注意してください。

水戸市北見町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-25 23:39 | 記念碑、記念像系 | Comments(0)

桜山の道標

岩間街道バスの桜山バス停のある交差点の角に、
廻りの電柱や信号機、そして石塀に溶け込むように
石柱があります。
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道路を拡幅する際に、邪魔になないように移した感じでしょうか?
石塀のセットバックの具合が何とも言えない感じです。

ちなみにここには交差点名はありません。
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歩道にさりげなくあるので、車で何度も通っているところですが、
その存在には気づいておりませんでした。
歩いていて、あれ?これなんだろう?
という具合で発見です。


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←(矢印)見川へ経~
読めません。

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→(矢印)河和田へ経~ 
読めません。



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昭和八年~ 
読めませんが、
この年号でこの石碑は建ったのでしょうか

水戸市見川 2014年11月、2015年2月

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by ta-tanchi | 2015-04-22 13:34 | 石仏、道標 | Comments(0)

歴史館から桜山橋途中の祠

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岩間街道まで戻り、旧道とのY字路、
ちょうど歴史館の東端には、祠があります。
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「水戸の坂道」では、佐竹氏秋田移封に際して起こった
車丹波の乱に組して処刑された一族の霊を慰めるために
建てられたといわれる小さな祠と記載があります。

一方、
「水戸の石仏」という本では、
近所の方が建てた子安観音であると記載されております。
また、これと対になる馬頭観音が
道路から見えないここから近い場所にところに造られて祀られております。

歴史はロマンだ!といえば前者ですが、これは後者が正しいのかと解釈しております。

水戸市緑町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-19 18:30 | 石仏、道標 | Comments(0)

梅林坂?

偕楽園好文亭表門からその横の偕楽園と民間地の境界の坂を、
「水戸の坂道」では梅林坂としています。
梅林は、「ばいりん」ではなく、「うめばやし」と読みます。
現在は「好文亭表門通り」の一部となってます。

ただ疑問に思う点があります。

「水戸の坂道」には偕楽園創設時以来、
岩間街道の常磐線踏切跡から偕楽園の表門を通り吐玉泉の上に至る道路は、
明治の終わりころまでは人家もなく、
この道路の両脇は梅並木だったことから梅林と呼ばれていた。っと書かれております。

「水戸の町名」では、
「上市回顧録」によると俗に梅林と呼ばれていたのは、
元山町の西の出口から偕楽園の表門を通り、吐玉泉の上に至る道路
と記載されています。

ただこの「上市回顧録」って本は存在したのですかね?
本の参考文献資料にも記載されていませんし。検索しても出ません。

今の元山町の西の出口ではなく、かつての西の出口を意味していると思われ、
ちょっと開きがありますね。
表門の中が梅林?って今も梅林ですが・・・。
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大正12年発行水戸市全図
梅林坂とされているところに榎本と書かれていますし・・・。
前回の榎本坂?のネタでそのあたりは触れてます。

偕楽園好文亭表門
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この道は、
徳川斉昭は、好文亭と桜山にあった一遊亭を結ぶ道として古くからあったそうです。
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もしここに梅並木があったかと言われると疑問です。
もちろん今、梅林は無く、
偕楽園の鬱蒼とした杉林の日陰となった寂しい坂道です。
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岩間街道の旧道に出ます。
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車を使わない時代、この梅林坂?上って直線に伸びる好文亭表門通りを通ったほうが
現在の岩間街道を使うより水戸市街に真直ぐ行けるのです。
こっちが街道だったのでしょうか?
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私、間違えたこと書いていましたら教えてくださいね。
水戸市元山町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-16 17:54 | 道路・鉄道 | Comments(0)

榎本坂?

先週の土曜日(4月11日)にブラタモリが復活しました。
長崎の街、坂道や長い崎の意味でもある海食崖の石垣の遺構、
戦後に川を道路にした際に石橋を地中に埋めてしまった遺構、
などを紹介しておりました。

水戸にも来ないかな~、なんて思います。
私のブログも、ブラタモリをちょっと意識してます。
暗渠の橋の遺構は規模は大きく異なりますが前回の連載の
もみじ谷はどこまで続くのか その2でも紹介しました。
坂道も、少々紹介してきています。

今回はブラタモリの影響を受け、坂を取り上げます。
が、グッとくるような坂ではありません。

というわけで、今回は
かつて岩間街道が常磐線を踏切で渡っていた時代の道を紹介します。
歴史館南側の岩間街道。歴史館が終わるあたりで、
旧道は曲がって沢渡川の谷に向かって下っていく道です。。
写真の左側の道です。そして常磐線を踏切で渡ってました。
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「水戸の坂道」という本では、これが榎本坂としております。
由来は、この坂に大きな1本の榎の木があったからと言われております。
この話はまたあとで出てきます。

上の写真中央の電柱下に、ちょっと謎な石標があるんです。
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撮影している姿が思いっきり見きれておりますが、
石標と現在の岩間街道を撮影しています。
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茨城縣。
旧字体です。
この道は茨城県のものですよっていう石標ですよね?
石標は新道側にありますが、いつの物なのでしょうか?
桜山橋は、昭和30年代に完成です。そのころはまだ旧字体なんですかね???

旧道の坂を下ります。
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そして下りきったところから見上げます。
右の合流する道は梅林坂?(水戸の坂道による名前)です。

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道はまっすぐ線路手前まで延びております。

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柵の向こう側こうは踏線路です。
踏切があった面影は現在残っておりません。
線路向こうも川の整備により面影ありませが、
桜山の3差路に山に添ってやや広がる部分が旧道の名残です。



タイトルに榎本坂に?をつけたのは
ちょっとその名前に私は懐疑的なんです。
下の地図を見ると
腑に落ちないからです。

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明治35年発行便覧水戸市全図


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大正12年発行水戸市全図

榎本と書かれているのは
水戸の坂道の「梅林坂」と書かれているほうなのです。

実際のところはどうなんでしょう?


水戸市元山町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-13 17:50 | 道路・鉄道 | Comments(2)

京成の上層階から見る夕景

京成の6、7、8階の西側エレベーター前から見た夕日です。
ここからの夕景、日の入りは素敵です。
買い物ついでにふらっと思い出したら行ってみてください。
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この時は震災後まもなくのときで、
静かに沈みゆく太陽を見て
上手く表現できませんが、何とも言えない気持ちになりました。


水戸市泉町 2011年4月6日


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by ta-tanchi | 2015-04-10 20:26 | その他 | Comments(2)

もみじ谷はどこまで続くのか その3


暗渠は続きます。
緩やかに上り、この暗渠を底に傾斜がついている地形。
地形を意識させられるブラタモリ的、「みとぶら」って感じです。
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やがて寄り添っていた道路と暗渠は離れ離れになります。

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住宅と住宅の間を進みます。
暗渠のゆるいカーブがなんていうのでしょうか?
かつての小川の流れですよ。
探究心を掻き立てます。

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そこで見つけた
国有地境界標。(そういう名前でいいのかな?)

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現在でも国有地なのでしょうかね?

更にずんずん暗渠道を進んでいきます。

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そして道路にぶつかって暗渠は終わります。
この先暗渠が無くなります。
このあたりでもみじ谷の終着点とします。

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これはカスミ見川店前です。
ちなみにカスミになる前はここに「亀じるし」がありました。
1961年の空中写真では
もみじ谷から続くグリーンベルトは現在のカスミのところの森まで続いております。
(リンク踏んでも表示されないと思いますが、興味ある方は探してください)

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来た暗渠(道)を振り返りました。


水戸市見川 2015年2月

で、終わりとしましたが、続きを探索しました。






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by ta-tanchi | 2015-04-08 22:54 | 川・水路 | Comments(1)

もみじ谷はどこまで続くのか その2

もみじ谷の先の駐車場と市道は谷を埋立てて通っております。
そんなところに野仏があり、お花も飾ってあります。

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もみじ谷の先はというと…

もじゃもじゃな木々が生い茂っております。
冬なので枯れてるせいでゴミとか汚れが目立ちます。


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ゴミさえなければ
もみじ谷の水田になるさらに昔はこんな感じの谷だったのでしょうか?
ただ、その中央付近に、コンクリートの構造物があります。

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水の流れは現在この暗渠となって残っております。

ここからしばらくはこの谷に沿う道路が無いので迂回します。

岩間街道からKマートを入っていき突き当たったあたりに、
水路(小川)の面影が残っております。

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住宅の駐車場と駐車場の間の暗渠。
もみじ谷の駐車場と、この暗渠の間は水路に沿って木々が昔のまま?
残っているのが
グーグルでは見ることが出来ます

この水路は更にS字にの道路、道路に沿ったゆるい谷地形が、
ここに川があったことを教えてくれます。
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上の左下のガードレールの横は暗渠です。

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S字の道を進むと、側道はかつて橋で渡っていたのかな?
暗渠になっている部分だけ盛り上がり、
かつ、そこだけ舗装が違います。
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続く

水戸市見川 2015年2月




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by ta-tanchi | 2015-04-05 09:10 | 川・水路 | Comments(0)