みとぶら

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カテゴリ:石仏、道標( 9 )

滝下橋付近の石仏

滝下橋つながりで。

見川からくると、橋の手前のY字路の角地に
石仏があります。
奥に見えているのが滝下橋。
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後ろ側から見るとこんな感じです。
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子どもを抱いた子安観音ですね。
嘉永五年十二月吉日 見川村大内田 と掘られております。
この地域の女人講に関するものです。
タンポポが供えられておりました。
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その横にはお地蔵様。

後ろの石碑は読めませんでしたが、「水戸の石仏」という本には
奉納六十六部 享保十四年九月吉日 と書いてあります。

滝下橋の道路は比較的新しい道。昔からここにあったわけでもないのかな?


水戸市見川 2016年4月




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by ta-tanchi | 2017-10-14 07:01 | 石仏、道標 | Comments(0)

赤い頭巾と前掛けの石仏群


赤頭巾に赤の前掛け、

全部首のないお地蔵様なのかな?
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と撮影時には思っていましたが、
水戸の石仏という本を見ると、右より子安観音が2基、地蔵尊、馬頭観音と記載されてました。
石仏ではないものにも頭巾が被っているようです。

知らないとなんだろう?
ですね。

お供えもしてあって大切にされているようですね。


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閉店してしまった西原のミニストップ。
すぐ近くに出来たセブンイレブンは駐車場入りにくく感じるのは気のせいでしょうか?

そんなミニストップ跡の向かいに石仏群があります。

水戸市西原 2016年7月

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by ta-tanchi | 2017-09-27 07:48 | 石仏、道標 | Comments(2)

頭無地蔵尊(首無地蔵尊)

最初に述べておきますが、
頭無地蔵尊、首無地蔵尊と
呼ばれている地蔵は
ここにある地蔵の頭首がないから
そう呼ばれているわけではありません。

網代茂著、水府異聞を読むと、
赤沼牢屋屋敷で斬首された遺体の慰霊に首なし地蔵
(地蔵に首がない理由の記述はないのですが)・・・
とあり、

赤沼の牢屋敷のから始まり、
頭無(首無)、地獄橋、までのことが書かれております。

そして、地獄橋の先にある極楽橋に至るまで、
何かストーリーがあって
つながりがあるのかなあ~と・・・。

赤沼の赤から連想される言葉は血の赤、
頭無から連想される言葉は斬首、
地獄橋は土壇場と呼ばれ処刑者を埋めた土地、
極楽橋の地獄との対義語

暗黒的ワードだらけでこれらに関連があるのか?
そんなことで、前出の福徳弁財天からこの地を通り、
最終的に新川の河口まで歩いてみました。
そんなわけで地獄極楽ウォーキングなんです。

そして歩いた後、考察してみましたが、
斬首と頭無は全く関係がありませんでした。
そりゃそうですよね。

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この首のない地蔵があるから地名が頭無(首無)になったわけじゃないです。

地名が存在したところに、たまたま頭首がなくなってしまった地蔵があった。
それだけのことです。

首がない罪人が通ったから頭無(首無)という地名になったというのは
無理がありすぎです。

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この地域の女人講がありました。今でもあるのかもしれません。
毎月19日夜になると念仏を唱えるという風習があったようです。
その念仏の中の一節に
女人泰産心安穏 心根具足意自在 寿命長達願成就
南無頭無延命子安地蔵尊
があります。

そういう信仰の対象であったわけですよ。

それが首が現在存在しないが故、斬首された体を想像するのは
ストーリーとしては面白いでしょうけど、
違うますよね?。

わざわざ地蔵さんの頭首を壊して奉るなんて
趣味悪いし、罰当たりじゃないでしょうか?

私は結構水戸の中をぶらぶらしていますが、
頭首のない地蔵はここだけではないです・・・。

ではなぜ頭首がないのか?


ここにある地蔵さんを見ましたが、石の性質でしょうか?
かなり風化が激しいですね。
砂岩でしょうか?

東日本大震災で被災した地蔵さんたち、
倒れて結構頭折れてました。

風化や、何か地震等で倒れたりして首がもげた。

また、これだけ首がない地蔵が集められていることから、
廃仏毀釈も考えられますね。

と考えるのが妥当だと思います。

と書きつつ、地名と全く関係なく首がないだけで
たまたま地名と相まって呼ばれていれば話は別ですけど・・・

次回は、頭無の地名を考えます。

水戸市渋井町 2016年6月



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by ta-tanchi | 2017-06-26 18:01 | 石仏、道標 | Comments(0)

千人供養

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大正7年8月5日建造された地蔵菩薩です。
神崎寺の住職だった方が、鳥見町の芸子さんで複雑な事情から、
この地で命を絶った人がいてそれを供養しているのがこのお地蔵さんらしいです。
ただ、どうして千人供養なのでしょうか?

震災後は倒れてしまっておりましたが、
現在は修復がなされております。
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西の谷の隅、
線路沿いの道にあります。

水戸市天王町 2014年8月


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by ta-tanchi | 2017-05-23 07:18 | 石仏、道標 | Comments(0)

みとちゃんもハロウィン

南町3丁目に最近できたみとちゃん像
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ハロウィン仕様となっております。

2016年9月


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by ta-tanchi | 2016-10-29 07:19 | 石仏、道標 | Comments(0)

泉神社の親子地蔵

8月2日は、水戸の空襲があった日です。

水戸の市街地は焼け野原になりました。

なので水戸の市街地には戦前からの古い建物がほとんど存在しておりません。

私の父親は疎開しており、水戸の曾祖父と祖父でした。
空襲の前にビラがまかれて空襲の予告があったそうです。
米軍の焼夷弾が落ちてきて家に火が付きました。
水をかけて消火に当たった祖父ですが、
バケツの水をかける程度では消えるわけがなく、
通称「風呂の下」と呼ばれる、今の気象台下あたりに火事から避難したそうです。

こういう話を何となくしか聞いていなかった僕です。
祖父が生きていた時にもっと聞いて記憶の中に残すのではなく、
記録をしなかったのが非常に悔やまれます。
親の話すら対して聞いていませんねえ…。

さて、
むかし奈良屋町と呼ばれた東照宮と協同病院との間の谷地形の低地に

泉神社があります。

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泉神社には
お地蔵さまがあります。
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赤い前掛けではっきりわかるわけではないですが、左腕に子供を抱えている親子地蔵尊があります。
お地蔵さんのの上には案内が書かれております。
昭和20年8月2日未明の水戸大空襲で382人の尊い生命が失われました。
この奈良屋町170番地防空壕でも町内在住の3家族14名の方が犠牲になりました。
翌21年供養のため建立された地蔵尊です。


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水戸市のホームページでは、
水戸へ疎開していた際に、水戸空襲でなくなった三家族の母子14人の供養のために建立されました。
毎年7月27日と28日には、神社の例祭と併せて供養が行われています。
と記載されております。

三の丸にある空襲にまつわる延命地蔵尊も水戸市のホームページに載せてほしいところです。


水戸市宮町 2009年3月 2014年4月


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by ta-tanchi | 2015-08-02 07:54 | 石仏、道標 | Comments(0)

桜山の道標

岩間街道バスの桜山バス停のある交差点の角に、
廻りの電柱や信号機、そして石塀に溶け込むように
石柱があります。
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道路を拡幅する際に、邪魔になないように移した感じでしょうか?
石塀のセットバックの具合が何とも言えない感じです。

ちなみにここには交差点名はありません。
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歩道にさりげなくあるので、車で何度も通っているところですが、
その存在には気づいておりませんでした。
歩いていて、あれ?これなんだろう?
という具合で発見です。


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←(矢印)見川へ経~
読めません。

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→(矢印)河和田へ経~ 
読めません。



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昭和八年~ 
読めませんが、
この年号でこの石碑は建ったのでしょうか

水戸市見川 2014年11月、2015年2月

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by ta-tanchi | 2015-04-22 13:34 | 石仏、道標 | Comments(0)

歴史館から桜山橋途中の祠

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岩間街道まで戻り、旧道とのY字路、
ちょうど歴史館の東端には、祠があります。
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「水戸の坂道」では、佐竹氏秋田移封に際して起こった
車丹波の乱に組して処刑された一族の霊を慰めるために
建てられたといわれる小さな祠と記載があります。

一方、
「水戸の石仏」という本では、
近所の方が建てた子安観音であると記載されております。
また、これと対になる馬頭観音が
道路から見えないここから近い場所にところに造られて祀られております。

歴史はロマンだ!といえば前者ですが、これは後者が正しいのかと解釈しております。

水戸市緑町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-19 18:30 | 石仏、道標 | Comments(0)

延命地蔵尊

水戸駅から水戸一高、三高へ向かう水郡線沿いのゆるい坂道。
国道51号線をくぐる手前に、延命地蔵尊はあります。
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手づくり感と補修され良く管理されていて、
地元に根差している信仰の証だななんて最初の印象ですが・・・
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このお地蔵さん、
戦争での悲しい出来事、
この町内で水戸空襲で防空壕で亡くなった犠牲者8名と
町内出身の戦死者3人の霊を慰めるためここに建立されたんです。

説明書きを読むと、切ない気持ちになります。


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ここを通る一高生、三高生、この地蔵を通して何を思うのでしょうか?

水戸市三の丸   2014年8月



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by ta-tanchi | 2014-09-18 20:37 | 石仏、道標 | Comments(0)