渋井町の末端部、新川沿いに整備された渋井町緑地です。
碑があるのですが、その裏側に碑文があります。
渋井町緑地碑
この地は 渋井町の田園地帯の一角にあり自然環境が豊かに残されているところである年々歳々自然環境が失われているなか地域からこの自然環境を守り育てる意識のもとに 公園としての要望がありその熱意に応え水戸市が整備したものである
また この地は 幕末における藩内の争乱の際に処刑された人々の遺骸が運ばれ 埋葬されたと言われているそのため 近在の人々は この地を「土壇場」と呼び新川の淀みを「冥加淀」と言い伝えている(新川改修工事により当時の淀みは残っていない)この緑地公園が地域の人々に愛着を持って静かに憩える公園として末長く利用されることを願っている
平成四年三月吉日 水戸市建立
碑文の前は広場です。
その広場の上流側にはゲートボール場っぽい広場と数本の植栽があり、結構広いです。
「水府異聞」という本(水戸市の図書館ならどこにでも置いてあります)
を読んでこの地のことを知り、
今回訪問前にも訪問してました。
碑文を読むと、
この公園となったところに死者を葬ったんだな~と
何とも言えない複雑な気持ちになります。
が、
赤沼~頭無~渋井町緑地(土壇場)を歩いてきた道、新川について後で考察すると
訪問後に碑に書かれている一文、
(新川改修工事により当時の淀みは残っていない)が引っかかります。
どういうこと?
この写真は渋井町緑地を新川の対岸から見たものです。
木の茂みが2つ上の写真の植栽です。
河川改修されてまっすぐ流れている新川。
改修される前の新川ってまっすぐ流れていたの????
無駄に広い公園は、もともと土壇場といわれたすべての面積なの????
と疑問点が・・・。
なんだか公園の縁が変な形しているなあ~と思うところがあり撮影してました。
変にカーブしてますよね~
このまっすぐじゃない隣地との境は、河川改修前の川の流れの痕跡ではないのでしょうか?
公園の末端に行くと不自然な三角形の使われていない土地があります。
つづく
水戸市渋井町 2016年6月