みとぶら

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福徳弁財天

湊街道(県道174号小泉水戸線)、
茨城交通の浜田営業所横の国道6号線を越えた1本目の路地の突き当りに、
福徳弁財天があります。
福に徳がある弁天なんてものすごく縁起がいい名前ですよね!!。

別名 地名から頭無(かしらなし)弁天 とも呼ばれてもいるようです。
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車では幾度となく入口前を走っているときには、気が付きませんでした。

写真の道は弁財天までの参道です。
昭和20年代は、この参道の両脇には桜が植わっていたそうです。

進んでいくと福徳大弁財天の石碑があります。
手前は馬頭観音とかです。
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弁財天のご利益は、商売繁盛、財福、子孫繁栄、芸術などがありますね。
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鳥居横には石仏がまとめられております。
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中には女人講中の石碑もあります。


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鳥居をくぐると橋があり、お堂があります。

境内は森のようにも見えますが、
かつては暗くなるほどの森となっていて、
池は深くて豊かな水をたたえていたそうです。
現在は水もなく空堀のようになってます。
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お堂は近年立て直されております。

福徳弁財天の由来ですが、
城東蓮池にあった弁財天の寺社が
矢田の羅漢寺へ移転?
羅漢寺が廃寺になって渋井のこの地へ来た?
という説と、

教育委員会の石碑に書かれている説である、

浮島延忠の夢枕に美女が現れ、鹿島明神に参詣するようお告げがあり、
行くと、弁財天像があったので頂いて寺を建立したという説があります。


浮島太夫延忠にまつわる伝説として、
平将門の子である、平将国が
信田郡浮島に落ち延びた伝説と関係しているのかもしれません。

上手くまとめられないのですが、平家の伝説はいろいろなところにあります。

この福徳弁財天がある渋井は、
昔は信田尻村と呼ばれておりました。

信田郡の浮島という地名、信田尻村の浮島延忠の話、
信田と浮島というキーワードが重なります。

つながっているかもしれませんよね。
歴史ロマンのお話です。

また、以前は弁財天の裏には墓地がありました。
その墓地には正歴寺の僧侶の墓石もあったので
弁財天の地には正歴寺というのがあったかもということのようです。
その中に弁財天があったということも考えられますね。
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お堂を囲う池に水がたまることはもうないのでしょうか?

弁財天の裏側の話につづく

水戸市渋井町 2016年6月


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by ta-tanchi | 2017-06-21 08:03 | 寺社 | Comments(0)