みとぶら

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ブラタモリ 水戸 巡った場所 速報版



2017年1月28日、ブラタモリ水戸が放映されました。

「水戸黄門は、なぜ人気があるのか?」というテーマです。
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詳しい話は置いといて、とりあえず巡った場所で手持ちの写真や既出の記事を載せます。


水戸駅からは始まったブラタモリ。
徳川御三家の城跡をということで、
まずは、水戸三高横の坂を上がっていって、
水戸城の一の丸と二の丸の間の、水郡線の通っている堀を見ました。
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そして本城橋を渡って水戸一高へ。
天守閣もなく、石垣もない城跡を見るわけです。

水戸藩は江戸との往復、家臣を両方に抱えたため借金だらけだよという話。
そこにある薬医門を見ます。これは佐竹時代からのものを有効活用したという話。

借金だらけなのでどうしたのかというようなことで話は進みます。

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土塁もね。
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そして街中へ。
自然にあった谷を生かした紀州堀

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その堀のあった東側の縁?出会った道を進み、芸術館を見ながら
台地の北側の高尾坂へ。写真撮影済みなのですがちょっと見つかりません。
河岸段丘ね~みたいな話をして、

そして光圀が水戸の町人のために行った事業である、笠原水道を見に行きます。

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笠原水道の水を飲んでまろやかですね~みたいなやり取りのあと、
ここから笠原水道が続いていた湿地帯の木道を進みます。
湿地帯を進む水道はどうしたのかという話になります。
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唯一のその遺構が見える地点へ行きます。
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展示されている笠原水道の石をみて、
崖下から染み出る水も有効に活用するため
暗渠内の岩樋に入るような隙間があったことを確認します。
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そしてこの岩はどこから来たのかを巡ります。
常磐線沿いの崖地帯へ。
私はここでのロケをしているのを車から目撃しました。
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凝灰岩泥岩を使ったという話をしてました。
軽くて運びやすいかったという点ね。
笠原水道は270年間も機能したんですよ。


そして今度は光圀が没後140年後に出来た、弘道館へ。
弘道館は江戸時代の最大の藩校でした。

弘道館の門が開くのは年に4回なのは知りませんでしたが、
開いている写真を。
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大日本史の編纂を始めた話。
そして水戸藩士が全国を巡ったという話。
それが光圀が全国的に知られ人気になったというようなくだりを和気あいあいと・・・

尊攘のかけ塾は紹介されず、402巻大日本史の拓本、斉昭の弘道館記碑拓本を見たりします。
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梅の名所の偕楽園へ向かいます。
ここも教育と深く結びついた施設としての紹介です。

観光客が入る東門ではなく、表門から入るのです。
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そして竹林の景観を見て、梅しかイメージないです、
そしてこんなところがあるのかというような話をしながら進みます。
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好文亭の話は一つも出ず梅林のあたりへ行くと、
偕楽園は、教育の一環として
斉昭公の「一張一弛」という考えのもとに作られた寄って言うような話を。
弘道館が一張ならば偕楽園が一弛になるってことね。

陰と陽の話も。

そして、仙奕台付近へ。
偕楽園には庭園の池がないという話で、
自然の千波湖が眺められるのでその必要なんてないよねっていう話。

弘道館と偕楽園は、光圀の精神を受け継いでいるです。

で終わるんです。
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エンドロール最後に、仙奕台に将棋の駒を置いてあったのが印象的です。
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エンドロール後に
藁苞納豆を食べて終わりです。

抜けているところもありますし、話の筋もちょっと違うのでは?
というところもあるかもしれませんがそこはお許しを。

最後に、現代ていうと、水戸黄門ってタモリさんだよね。
人気もあって全国漫遊してますもん(笑)。




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by ta-tanchi | 2017-01-29 01:02 | イベント | Comments(0)