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一高下の水郡線の擁壁は何を語る?

水郡線をまたぐ、本城橋がかかっている場所は、かつて土盛をされた道路でした

水郡線と言うよりは、明治23年、那珂川の水運を利用するべく那珂川駅に向かって出来た水戸鉄道
が、その土盛にトンネルを掘ったようです。

後に、トンネル通行に支障をきたすため、
昭和4年の陸軍大演習を機に盛土を崩し、本城橋がかけられたとのことです。

橋を架けるべく、山を切り崩して橋梁工事している写真は見たことはありますが、
トンネルそのものの写真を見たことはありません。
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線路のあるところは、水戸城の堀がそこまで深かったわけではなく、鉄道を通す際に掘り下げられ、
トンネルで抜けて那珂川駅へ結ばれたと推測しております。
橋の下のコンクリートの擁壁に対し、コンクリートの前後は石積みの擁壁です。
旧橋時代でもすでにコンクリート部分は存在してました。

もしかすると、
石積みの擁壁もそんなに古そうには見えないですけども、
石積のところまでは切通しで、
コンクリートのところが盛土部分のトンネルだった部位なのかもしれません。
ただそれだと土盛が急すぎるかもなんですがね。

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三高側は、擁壁は橋の随分手前にあるだけです。
おそらく、この部分は堀の堤だった部分だったのでしょう。
だから切り崩して、線路を作る際、擁壁が必要だったのではないでしょうか?
一高側も対になってここには擁壁あります。
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擁壁と擁壁の間が堀、擁壁部分が堀の堤、
そんな考えでどうでしょう?
堀深すぎるか・・・

水戸市三の丸  2013年5月、2016年3月

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by ta-tanchi | 2016-05-27 08:20 | 道路・鉄道 | Comments(0)