みとぶら

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榎本坂?

先週の土曜日(4月11日)にブラタモリが復活しました。
長崎の街、坂道や長い崎の意味でもある海食崖の石垣の遺構、
戦後に川を道路にした際に石橋を地中に埋めてしまった遺構、
などを紹介しておりました。

水戸にも来ないかな~、なんて思います。
私のブログも、ブラタモリをちょっと意識してます。
暗渠の橋の遺構は規模は大きく異なりますが前回の連載の
もみじ谷はどこまで続くのか その2でも紹介しました。
坂道も、少々紹介してきています。

今回はブラタモリの影響を受け、坂を取り上げます。
が、グッとくるような坂ではありません。

というわけで、今回は
かつて岩間街道が常磐線を踏切で渡っていた時代の道を紹介します。
歴史館南側の岩間街道。歴史館が終わるあたりで、
旧道は曲がって沢渡川の谷に向かって下っていく道です。。
写真の左側の道です。そして常磐線を踏切で渡ってました。
b0330744_13380518.jpg
「水戸の坂道」という本では、これが榎本坂としております。
由来は、この坂に大きな1本の榎の木があったからと言われております。
この話はまたあとで出てきます。

上の写真中央の電柱下に、ちょっと謎な石標があるんです。
b0330744_13383354.jpg

撮影している姿が思いっきり見きれておりますが、
石標と現在の岩間街道を撮影しています。
b0330744_13424706.jpg
茨城縣。
旧字体です。
この道は茨城県のものですよっていう石標ですよね?
石標は新道側にありますが、いつの物なのでしょうか?
桜山橋は、昭和30年代に完成です。そのころはまだ旧字体なんですかね???

旧道の坂を下ります。
b0330744_13390003.jpg
そして下りきったところから見上げます。
右の合流する道は梅林坂?(水戸の坂道による名前)です。

b0330744_13391534.jpg
道はまっすぐ線路手前まで延びております。

b0330744_13433280.jpg
柵の向こう側こうは踏線路です。
踏切があった面影は現在残っておりません。
線路向こうも川の整備により面影ありませが、
桜山の3差路に山に添ってやや広がる部分が旧道の名残です。



タイトルに榎本坂に?をつけたのは
ちょっとその名前に私は懐疑的なんです。
下の地図を見ると
腑に落ちないからです。

b0330744_20132515.jpg
明治35年発行便覧水戸市全図


b0330744_20134897.jpg
大正12年発行水戸市全図

榎本と書かれているのは
水戸の坂道の「梅林坂」と書かれているほうなのです。

実際のところはどうなんでしょう?


水戸市元山町 2014年8月

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by ta-tanchi | 2015-04-13 17:50 | 道路・鉄道 | Comments(2)
Commented by at 2015-04-14 21:25 x
こんばんは

今だから、簡単に通り過ぎる道ですが
ちょっと昔ならば、命懸けで歩いた先人が
おられたのですね。石碑や標に願う思いに
立ち止まる為には、歩くのが一番ですか(笑)

この画像にもお気に入りのカフェの姿が
ありました。通りを行き交う車が起こす風を
BGMに少しだけ羽根を休めて、、

古地図に浮かぶ水戸の街に負けたらいけませんね?
Commented by ta-tanchi at 2015-04-15 08:33
月さん、こんにちは。
茨城縣の石標は、道路と民有地の境界の目印だと思います。桜山すぎた交差点角には、昔の道しるべの石柱が今も残っております。
y字路の向かいに子安観音があります。歩かないと通り過ぎてしまいますね。

いずれ紹介できればと思っております。

カフェは、ハナトコさんですね。
気にはなっていますが通り過ぎるだけになってしまってます。