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旧 みとぶら

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水雷稲荷神社

この何気ない路地。

石碑の奥にタイトルの水雷稲荷神社があります。
正面のマンションの住人の何人がこの存在を知っているのでしょうか?
水雷の由来はなんでしょうか?
水雷稲荷神社_b0330744_00332594.jpg
石碑だって薄くて目立たない・・・。
その奥に続く小径も木々によってよく見えない・・・。
普通だったらこの先進のちょっと躊躇します。
水雷稲荷神社_b0330744_00422475.jpg
ブロック塀と民家の間を進みます。
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神社があります。
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残念ながら狐は震災で倒れてしまったままです。
拝殿?本殿?はベニヤ板で修復がなされておりますが、屋根は壊れています。
それでも敷地内は除草もしっかり行われていて管理されております。
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そしてもう一体は神社の縁の下に・・・
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手水もありますが、植物に囲われてしまっております。

水雷稲荷神社_b0330744_00441524.jpg

灯りが付きます。
街中でも人通りがないところで灯りがなければ防犯的に怖いですが、
夜も灯りがあるので、治安のためにも良いことです。

街秘境度高いです。
ただ、、昔からここにあったわけではないようです。

石碑の裏には、
「都市計画により昭和三十五年十月吉日この地に移転す」
と書かれています。
何処にあったのかな?

水戸市泉町 2014年7月


追記 
気になったので調べました。

創立や由来等は不詳とされておりますが、
元々、城東の蓮池町(県営蓮池アパート地内南西の角あたり)に
水雷神社、稲荷神社が私祠として、のち一般の参拝もでき、祭りには屋台なども出たとのことです。

明治の豪商富田彦市が泉町2丁目一帯を買収し、富田新地、富田公園を設けます。
富田新地は、のちに土地を譲りうけ青木才次郎の名から青木新地と呼ばれいました。

大正五年7月に蓮池町より勧誘して水雷稲荷神社を建立したということです。

2冊の本、「水戸巷談」「城東歴史散歩」という本を合わせた内容を記載しています。
引用先を色別にしてみました。
青木氏が土地を譲り受けたのは明治期とのことで、神社が移転したのは大正期。

石灯籠は手水石には明治28年奉納とあるようですし・・・
大正5年より建立はもっと早かったのでは?


芸者衆がお参りに来ていたとのこと、
戦前の祭りでは、義太夫や琵琶法師の舞台がかりの演芸が行われたりしたようです。

神社の敷地はほぼ変わりませんが、都市計画により、
南向きにあった参道が東側に変わり、細長く狭い参道になり現在に至っています。



by ta-tanchi | 2014-09-13 21:14 | 寺社 | Comments(2)
Commented by FK at 2016-02-13 00:23 x
水戸を離れ35年ほどになります。このサイト、懐かしく拝見させていただきました。この神社の南側の駐車場(水戸駐車場)の所有者が青木さんでした。神社のお祭りは昭和50年代初期くらいまでは続いていた記憶があります。
Commented by ta-tanchi at 2016-02-13 18:07
> FKさん
こんにちは。懐かしく見ていただきブログ発信者冥利に尽きます。これからもよろしくです。
青木新地の名残でお祭りが50年代まで続いていたこと、知りませんでした。

現在この神社の維持管理が大変なようだということを小耳にはさみました。